2013年7月9日火曜日

『あまちゃん』と方言



 毎日『あまちゃん』が楽しみでたまらない。楽しみついでに、そろそろ重大なところに差し掛かってきたのではないかと思う。毎日面白くて目が離せないストーリーはもちろん素晴らしいのだが、「どうなるのかな?」と近頃気になっているのがアキちゃんの北三陸弁問題である。

 このお話は、東京から母の故郷岩手県は北三陸に引っ越した高校生のアキちゃんが、夏ばっぱをはじめとする地元の人とふれあい、海女になって、自分の殻を破るというものだった。東京では暗かったアキも、北三陸では北三陸弁を「じぇじぇ!」としゃべり、種市先輩に「おらとデートしてけろ」と告白し積極的になっていく。その能年玲奈演じるアキちゃんの様子がまあぁぁぁ可愛くてたまらないのではあるが、現在放送中の東京編では、アイドルを目指して上京、ご当地アイドル集団GMT48の一員として下積み中で、北三陸からは離れ、それでも訛りを武器にまわりの人々をほんわかさせていく。

 ただ、GMTのなかに入ったときに際立ってしまうのが、忘れがちではあるが、実はアキは北三陸のネイティヴではないという事実である。ほかのご当地アイドルたちは地元で育った各地の生粋のネイティヴだが、アキはもともと東京で生まれ育ち、高校生になってからほんの1年程度北三陸に住んだだけなのだ。ところどころにその事実をわれわれに思い起こさせてくれるセリフも登場する。「おらの訛りは自己流だからな」。先日アキが言ったセリフである。北三陸編ではみんなが地元の人だったので「そこに溶け込むアキ」ということで目立たなかったのだが、舞台を東京に移し、GMTのメンバー、つまりは本物の地方代表に囲まれたとき、どうしてもアキのアイデンティティのことを考えずにはいられない。そしてたぶんその事実は物語のどこかで解決しなければいけない問題のような気がするのだ。

 北三陸編ではアキのまわりの高校生はユイちゃんと種市先輩くらいしか描かれず、違和感を出さずに済んだが、もし彼女と同級生の地元の高校生がいたならどう感じるであろうか。きっとアキは東京から来たくせに真似して方言をしゃべってちやほやされてる嫌な奴だ。海女として注目されるのはその特殊技能ゆえ理解できるが、この東京から来た子が地元の代表としてご当地アイドルになるというのは、地元で生まれ育った子にしてみれば違和感ありまくりだろう。地方はそんなに優しくない。東京にはない海や山がいっぱいあって素敵、なだけではすまない感情がそこにはあって、よそ者には冷たい、東京弁をしゃべれば気取っていると言われ、地元の言葉を話せばにせものとからかわれる、そういう厳しい排外的な姿勢が現実の地方にはある。そういう現実のネイティヴィズムをあえて描かないことであまちゃんのファンタジーは成り立っている。

 もちろんそんなネイティヴィズムは偏狭である。ないほうがいいに決まっている。でも現実には、ある。地方の人々にとって方言とはアイデンティティであり、だからこそそれを簡単にまねされるのは不愉快である。中央に対して周縁と見なされてきた自分たちの成り立ちそのものさえ、再び搾取されてしまうような危機感を感じるからだ。

 アキちゃんは東京でも訛る。しかしそれはある意味コスプレでしかない。東北人を演じているに過ぎない。なぜなら彼女はその言葉しか話せないわけではないからだ。仙台の小野寺ちゃんは仙台弁しかしゃべれない。それとアキちゃんは決定的に違う。

 言葉というのは一方的に発信するものではなく人との間で行き来するものだから、実はアキちゃんが東京でも訛っているというのは相当おかしい事態である。東北の人は東京に行くと訛りを消して標準語を話そうとする。恥ずかしいというのもあるが、そもそもそうするのは「通じない」からだ。通じないと言葉が役に立たない。だから相手の言葉に合わせる。逆に言うなら相手の言葉が話せるにもかかわらず、そして相手が自分の言葉を話せないにもかかわらず自分の言葉で押し通す、というのはコミュニケーションの拒否である。地方にはたまに、東京から帰ってきて以来標準語、みたいな人がいて「変なやつ」と思われるが、それは共通の言語があるにもかかわらず他者の言語を用いているからで、その行為が放つメタメッセージは「俺、お前らと違うよ」である。だから嫌われる。

 標準語と方言には階層があって方言が勿論下位に来るので気づきにくいが、実はアキちゃんがやっているのも同じことである。彼女は標準語が話せる。むしろ彼女のnative tongueである。それなのに共通の言語を持つ人との間で、「あえて」違う言語を話してみせているのだ。これはけっこうたいへんな事態で、彼女はある意味東京の人たちとのコミュニケーションを拒否していることになる。

 それで、物語の今後がどうなるかと予想するなら、やはりアキちゃんは標準語をしゃべらなければならないだろう。遠洋漁業に旅立ったじっちゃんが言い、そして東京へ旅立つアキが繰り返してみせたように、このお話のテーマは、「ここが一番だということを地元のみんなに教えてあげるために外に行く」、生まれ育った場所が一番だ、ということになるのだと思う。だとするならば、アキちゃんは自分が生まれ育った場所である東京と向き合う必要があるだろう。昔のダサかった自分と向き合わなければならない。そして自分の言葉を取り戻さなければならない。取り戻したうえで新たなアイデンティティを北三陸で見つけるのではなかろうか。

 だから同じように自分のnative tongueを受け入れていない他の人物たちも最後にはそうなるのだと思う。母親の春子もユイちゃんも最後には北三陸弁を高らかに話すはずである。

 二人が北三陸弁を高らかに話すそのときに、アキちゃんは三人で思いっきり訛ればいいと思う。