2015年4月4日土曜日

エトガルと新宿で 2

つづき

この2014年3月の時点で、たしか母袋さんの訳で『突然ノックの音が』が新潮社から出ることは決まっていたように思う。『新潮』3月号に母袋さんの訳で短編「創作」が掲載され、編集の方のご厚意で私も英語のエッセイ「父の足あと」を訳させてもらった。

メールのやりとりが始まって「日本語であなたの作品が読めないのは残念だ。でも僕はヘブライ語ができない。これも残念」みたいなことを伝えると、「英語でしか出していないノンフィクションがあるからそれを訳して新聞や雑誌に載せられないかな」という提案とともにいくつかのリンクを送ってきてくれた。そのうちのひとつが、はじめて小説を書いたいきさつを描く「ある作家の肖像」だった。

ケレットが書く短編に劣らずおもしろい。これはがんばらねば、と思って訳して方々に送った。雑誌・新聞などの媒体で個人的に知っているところは少ないので、当たって断られては「ほかにどこかご存知でしたら紹介していただけませんか?」みたいなかんじである。先方も忙しいし、返信があるまでには時間がかかる。それに返信があればまだいいほうだ。

そして小説作品がまだ出版されていない、つまりは名前が知られていない作家の、小説ではなくエッセイというのも厳しい。これでもし私が、名前の売れている評論家や作家だったりしたら事情は違うのかもしれないが、そんな影響力もない。なんだかじりじりしながらも「原文で読んでみたいなー」とヘブライ語を習い始めてみた。アレフヴェートは覚えたが、もちろんそんなかんたんに読めるようにはならない。

結果が出ないまま数か月が過ぎ、イスラエルはガザに侵攻した。そしてケレットは自国の右傾化に警鐘を鳴らす勇気あるエッセイ「イスラエルにある別の戦争」を発表した。夏のことだった。すぐに読んで、これは日本の読者に届けねば、と思い、訳した。前のエッセイたちと一緒にして、またいろんな媒体に売り込んだ。職場の同僚のN先生も協力してくださり、各出版社につてのある方の協力も得られた。エッセイだけではしんどいかもと思い、勝手に企画を立て、作家紹介の文書を作成、GRANTAに載ったインタビューを翻訳し、そこで言及されている短編とエッセイも全部訳して、そのまま立体的な特集になるようにしてみた。それでもなかなか載せてくれるところが見つからない。ただ、真剣に検討したのだが紙幅などの点でダメだったという旨を伝えてくださる媒体も出てきて、多少感触が変わってきた気がした。もうチョイのはず。

ようやく掲載が決まったのが9月のこと。最初の頃から相談させてもらっていた『早稲田文学』で、これはホントに嬉しかった。エッセイ3編と最初の短編「パイプ」を掲載してもらえた。世界の最先端の文学を精力的に紹介しようという熱意のあるこの雑誌に載せてもらえたのは幸運である。

そして1月くらいだったか、新潮社さんから「エトガル・ケレットが日本に来る予定です」という連絡が。母袋さん訳の『突然ノックの音が』の出版に合わせての来日である。これは会いに行かなくては!

まだつづく