2010年10月21日木曜日

トラットリアからオルタナティブな思想を考える

 奥さんの誕生日だったのでうちからほど近いイタリアンレストラン、トラットリア・レットへ。行くのは初めて。ご夫婦二人だけでやっていて、変わっているのが、ディナーは一日3組しか受け付けないってことである。今回はあらかじめ予約して、シェフのお任せコースでおねがいした。予約の時点で苦手な食材を聞いてくれる。

 最初のむらさきいものスープに始まり、ハマチのカルパッチョの前菜、温かいスズキの前菜(ブロッコリーのソース)、ホロホロ鳥の自家製パスタ、鰆のパンチェッタ包み、短角牛のグリルまで、すべてがおいしかった。ちゃんとした素材を丁寧に調理している。あまりにソースがうまいので、パンにつけて全部きれいに食べた。奥さんの誕生日だということは伝えていたのだが、妻のデザートは皿のまわりにHappy Birthday! の文字が入ったスペシャルバージョン。ダージリンのプリンがうまかった。

 2時間半くらいかけてゆっくり味わわせていただきました。

 聞くと、以前はアラカルトもやっていたのだが、料理を出すペースが間に合わなくてせっかく来てくれたお客さんをがっかりさせることが多く、今の3組限定の形に変えたのだそう。

 感銘を受けた。

 お客さんは来てくれる。しかし料理の回転が間に合わない。こういうときにたいていの店がとるのは、料理の手間を省いてでもすぐ出せるものに切り替えて回転をよくする、必要であれば人を雇ってでも供給を追い付かせる、という方法であろう。
 実際多くの飲食店はいかにコストを抑えて大量に回転させることで儲けを生むかで苦心している。その結果ぼくらは、コストを抑えた得体のしれない材料でつくられた、冷たいお皿に乗った無味乾燥な料理を、大急ぎでかっこんで店を後にすることになる。それが市場経済の原理だと言えばそうなのだが、この店はあえてその道を取らずに、納得できるものを納得できる形で提供するために、お客の数の方を減らしたのである。経済のロジックに背を向けたのだ。これはなかなかできないことだと思う。
 というのも、3組限定だったら一晩の売上げの上限が決まってしまうではないか。多くの飲食店はその売り上げを少しでも昨日より「成長」させようと躍起になっている。そういう姿勢とは対照的な哲学がこのお店にはあるのだ。
 もっともっとと売上を伸ばすのではなく、納得できる料理を作り、提供することを優先する。その志の高さにいたく感動した。

 出てくる料理はすべて手間暇かけたもので、温菜であればきちんとお皿は温められているしカトラリーは皿ごとにちゃんと換えてくれる。料理が出てくるのがゆっくりなので、こちらも一皿ずつゆっくり味わうし、会話も弾む。
 毎日こういう食事をとるわけにはいかないけども、本来食事ってただのエネルギー補給じゃないはずで、こうやってていねいにつくっていただいたものをていねいに食べさせてもらったとき、食事ってのはある種の儀式と言うか、生きていることの核心に迫るような幸せな体験になるのだと発見した。

 と同時に「独自の経営戦略で事業拡大」みたいなことのみを良しとする今の市場競争社会のありかたはとても馬鹿らしく思え、それに流されることなくしっかりと自分たちの哲学を持ってお店を営まれている二人のしなやかな強さを応援したくなった。ごちそうさまでした。ありがとう。