人間、時間が経てば年を取る。若いうちはそれは「成長」である。昨日届かなかった木の枝に手が届くようになる。できなかった逆上がりができるようになる。嬉しい。しかし成長はいつか止まる。それでも時間は流れるのであって、そこからは、かつてはできていたことができなくなっていく。老いである。
「成長」とは麻薬だ。心地いい。人間、自分が成長していると信じられているうちは幸福でいられる。「経済成長」という神話にしてもそうだ。成長は決して常態ではないはずなのに、ぼくらは成長が当たり前で、それがなくなることは大変なことだと思っている。右肩上がりでないといけないと思っている。そんなことは不可能なのに。
「成長」という麻薬が切れた時、人間はそれまでとは異なった心の構えを必要とするのだと思うし、それをうまく受け止めることが「成熟」なのだろう。
たとえば数十年前に書いた自分の文章を読んで、その稚拙さに驚くというのは「成長」したからこそであろうが、と同時に、そこにあるむきだしの熱意を目の当たりにしてたじろぐようなこともあるだろう。それはもはや自分には書けないものだ。かつての「私」は今の「私」と地続きであるという意味では「私」であるけれど、もはや同じものが書けない「今の私」がその「かつての私」を同じく「私」と呼ぶには距離がありすぎる。しかし、「彼」ではない。第三者として三人称に切り離してしまうには愛おしすぎる存在。共に生きてきた同志のような存在。だからこそ「きみ」なのではないか。
Paul Auster の自伝的エッセイ Report from the Interior では、前作 Winter Journal に続いて二人称"you"の語りが取られる。Winter Journal は「身体」の来歴の物語であったのに対してこちらは「心」の来歴である。
全体は4部で構成され、そのすべてが徹底して自身の過去を扱ったものだ。第一セクションのエッセイ部分"Report from the Interior"は幼少期からの様々な思考をたどったもの。第2セクション"Two Blows to the Head"は、それぞれ10歳、14歳の頃に見てガツンと来た二本の映画(『縮みゆく人間』と『仮面の米国』)の語り直しである。第3セクション"Time Capsule"は、コロンビア大学の学生だった頃に、当時の恋人で前妻のLydia Davisにあてて送った手紙の抜粋で、最後のセクションはこれらの内容に関連した写真を収めた"Album"である。
"Time Capsule"のきっかけは、Austerと同じように(Austerの原稿はNYPLのBerg Collectionに収められている)自分の原稿を図書館アーカイブに収めようとしたDavisからの、昔の手紙が出てきたのだけどどうしたらいいか? という連絡だったという。20歳そこそこの自分が書いた手紙を読む60代半ばの男。手紙の中のAusterは、貧しく、フラストレーションを抱え、それでもものを書くという行為に一貫してひたむきである。きっと「きみ」の手によるこの手紙のような文章は、今のAusterには書けないものだし、だからこそそれを活字にしたのだろう。
これまで『孤独の発明』や『その日暮らし』といった自伝的なエッセイをすでに発表してきているにも関わらず、本作の前身である Winter Journal (2012)が読みごたえがあったのは、それがある意味「父の話」だった『孤独の発明』と対をなす「母の話」であったことや、「身体」の変化、ひいては「老い」という問題を正面から見据えていたからではないかと思うが、Report form the Interior はそこまで徹底していないし、4つのセクションの構成には散漫な印象も受ける。
たとえば映画の語り直しは『闇の中の男』や『サンセット・パーク』でもあったが、『幻影の書』での映画の語り直しのように、「ない」映画をあたかも「ある」かのように語るのと、本当に「ある」映画を語り直すのは意味合いが違うし、それが小説の中で主題的なものとして描かれているならば(たとえば『闇の中の男』での『東京物語』がそうだろう)語り直す意味もあろうが、本書でのようにむきだしで語り直されても、まず「映画は映画で見ればいいのではないか、なぜ批評ではなく語り直しなのか」と思ってしまうし、感じるのはAuster本人が、こうやって映画のプロットやカットを語るのが本当に好きなのだなあ、ということくらいである。
とはいえ、その語り直しはやはりうまく、ときとして挟まれる解釈的なコメントも絶妙で、やはりAusterにしか書けないものだと思う。『仮面の米国』で主人公の危機の場面に反復されるハンバーガーを食べるという行為に着目したり、「なにか大きな仕事をしたい」と橋の設計・建設の道に進んだ主人公が、刑務所からの逃走場面で追っ手を遮るためにダイナマイトで「橋」を爆破することの皮肉を指摘してみせたり。
オースターの初期小説『最後の物たちの国で』で、主人公のアンナが書く手紙の文字がどんどん小さくなっていくという描写がある。紙がなくなってきたので文字を小さくしていくのだ。現実的には小さい文字はいつか判読不能な黒点になる。しかし理論上は、文字を小さくし続ける限り、紙の余白は埋め尽くされることがない。このパラドクスの美しさが好きなのだが、本書でもオースターの実際の手紙で、紙がないから文字が小さくなっていくという箇所があるし、オースターが語り直している映画『縮みゆく人間』は、主人公が放射能と農薬の影響でどんどん小さくなっていって、最後には目に見えない微粒子となろうとも、それでも消滅はしないというメッセージを持っている。"To God there is no zero. I still exist!" と彼は叫ぶのだ。こういったのちの作品に表出した思想の起源みたいなものが読み取れるのがファンには面白いところである。
同じように興味深いのが、自身のユダヤ人という人種的特性を発見するところ。オースターは戦後生まれだしアメリカ生まれだが、それでもナチスによる迫害の記憶は新しく、自分が自分であると言うだけで暴力的な他者から殺されかねなかったという歴史の発見は、衝撃だったに違いない。ユダヤ人のアウトサイダー性、homeにいてもそこを完全にhomeだとはみなせないという居場所の不確かさ、同じように居場所が不確かなアフリカ系やネイティブ・アメリカンへの共感、ひいてはすべての"outcast"たちへの共感、そういったものの起源を読み取ることも可能だろう。
『孤独の発明』でわずかに触れられたエピソードでもあるが、小学校の頃「ユダ公」とからかわれたオースター少年は、学校でクリスマスのお祝いに出席してクリスマスキャロルを歌うのを拒み、ひとり教室に残る。その描写がいい。
机に向かって座ると、突然きみのまわりは静寂に包まれ、文字盤がローマ数字になっている古い時計の分針が時を刻むカチッという音が響く。きみはポーを、スティーブンソンを、コナン・ドイルを読んでいる。頑固にも自分の意見を主張し、それでも誇り高く、その頑固さに、自分では無い誰かであるふりをするのを拒んだその頑固さに誇りをもち、自ら宣言して追放者となったきみは。(73)
ユダヤ人であるがゆえにどこにも十全たるhomeがないことを自覚した少年時代のオースターは、ひとり教室に残り、普段はクラスメイトたちで騒がしい教室が静まりかえったなか、たったひとりで座っている。しかしその傍らには書物がある。
本の世界、たぶんそれこそが彼にとってのhomeとなった。outcastしかいないような場所。
そして彼は作家になった。
2014年1月31日金曜日
2014年1月22日水曜日
ピンボールとドラッグレース
昨年末に大瀧詠一が亡くなってから懐かしんで『A LONG VACATION』とか『EACH TIME』を久しぶりに聞いていて、「1969年のドラッグレース」って村上春樹の『1978年のピンボール』に似てるなとふと思った。タイトルが。さらに、この曲だけではなく「恋のナックルボール」とか「我が心のピンボール」とか、曲のタイトルで『1978年のピンボール』に似てるのが他にもあるなあ、と思ったんである。
なんか直接的な影響関係があるのかないのかは知らない。ちなみに発表は「我が心のピンボール」収録の『A LONG VACATION』が81年、「1969年のドラッグレース」「恋のナックルボール」が収められた『EACH TIME』が84年、村上春樹の『1978年のピンボール』が一番早くて1980年である。なので、『1978年のピンボール』に影響を受けて大瀧詠一が(あるいは作詞をした松本隆が)こういうタイトルの曲を作ったという可能性はあるかもしれない。
しかしそういう直接的な影響関係の有無より、あらためて認識したのは、かつて自分が両者に同じようなものを感じていた、という事実である。70年生まれのぼくは中学生の時に大瀧詠一を聞き、村上を読んだのはもっとあと、高校に入学してからだった。小説よりポップミュージックの方がお手軽だったから、読んだり聞いたりした時系列がぼくのなかでは発表年とは逆になっているのだが、中学生のときに聞いた大瀧詠一は、なんだかおしゃれでカラフルな感じがしたもんだ。その歌詞の世界では(詞は多くが松本隆によるものなのだが)だいたい若い男性と女性が出てきて、女性が「海が見たい」なんて言ってみたり、ドライブに行って女性に別れを告げた後に車が故障して気まずくなったり、あるいは男二人と女性の仲良し3人組でどっか泊まって、男同士はこの子に「手など出さない」と約束していたはずなのに「ぼく」じゃないほうがその女のことくっついちゃって悲しい、とかそういう、なんだかちょっとおしゃれな恋のエピソードが描かれていた。大人になったら女の子は「海が見たい」なんて言うのか、そういうものなのか、と思ったが、でも、自分のまわりのお兄さんお姉さんたちを見てもそんなかんじの人はいないし、暴走行為はあってもドラッグレースはないのであって、だからこれはいったいどこの世界の話なのか?と思ったのである。で、そのプラスチックな感じ、パステルカラーでつくりものなかんじは、のちに初期の村上作品を読んだ時に感じた印象と重なる。そしてそれはぼくのなかでは「幻想のアメリカ」になったのだと思う。
昔『ユリイカ』の村上春樹特集で書かせてもらった時、初期村上春樹を高校生の頃に読んでその無機質でにおいのない世界に魅かれて、その世界をアメリカだと思った、ということを書いた。
なんだか無機質でつるんとしていて、「僕」たちにはきっと、口臭も体臭もないのではないかと思った。それは現実のぼくの周りにあった小さな世界とは全く異質の世界で、景色も光も言葉もなにもかもが違っていた。泥臭くて汗臭い現実の生活とは対極にあるものだった。ぼくは自分の小さな世界の外側にあるこの「別の世界」にあこがれ、そしてその場所とは「アメリカ」なのだと思った。今思い返してみれば、だからこそ、アメリカ文学を読むようになったのではないかという気がするのだ。そして、もしそうだとしたら、ぼくがはじめて読んだ「アメリカ小説」は村上春樹だった、ということができるかもしれない。
『ユリイカ』2000年3月臨時増刊号 総特集 村上春樹を読む
もちろん村上春樹はアメリカ作家ではないのだけれど、あれを読んでアメリカ的なものを感じた読者っていうのはぼくだけではなかったのではないかと思ったのである。
村上自身は初期インタビューで、自分が小説などのアメリカ文化から吸収してつくった世界を「仮説としてのアメリカ」と呼んでいるのだが、そんな彼が作り出した作品を読んでアメリカを感じたぼくのような読者もいるわけで、これは世代的なものでもあると思うのだが、アメリカ文化に直接触れてそこに魅かれたのが村上の世代だとすれば、70年生まれのぼくのような世代は、その村上世代が翻訳再解釈再生産した「仮説としてのアメリカ」でアメリカに触れた世代ではないかと思う。そして、村上以外になににアメリカを感じたかといえば、大瀧詠一だった気がするのだ。
加えてもうひとつ挙げるなら鈴木英人のイラストである。FM雑誌の表紙になったり(山下達郎のジャケットもあった)して、この人のイラストはものすごい流行った。あれがただのイラストではなく様々な色の紙を切り貼りしているのだと知ったのはほんの数年前のことだが、ということは同じ色の中にある陰影やグラデーションが排除されているわけで、そのうえ風や光や水しぶきが可視化された、加工されたアメリカがそこにあって、これまた「仮説としてのアメリカ」として、それを受容する者に幻想を生んだのだと思う。
調べてみたら大瀧詠一と鈴木英人は48年生まれ、村上は49年だけど1月生まれなので、この3人、同学年である。
そういう人たちが「幻想のアメリカ」をつくってくれていた。80年代ってそういう時代だった。
なんか直接的な影響関係があるのかないのかは知らない。ちなみに発表は「我が心のピンボール」収録の『A LONG VACATION』が81年、「1969年のドラッグレース」「恋のナックルボール」が収められた『EACH TIME』が84年、村上春樹の『1978年のピンボール』が一番早くて1980年である。なので、『1978年のピンボール』に影響を受けて大瀧詠一が(あるいは作詞をした松本隆が)こういうタイトルの曲を作ったという可能性はあるかもしれない。
しかしそういう直接的な影響関係の有無より、あらためて認識したのは、かつて自分が両者に同じようなものを感じていた、という事実である。70年生まれのぼくは中学生の時に大瀧詠一を聞き、村上を読んだのはもっとあと、高校に入学してからだった。小説よりポップミュージックの方がお手軽だったから、読んだり聞いたりした時系列がぼくのなかでは発表年とは逆になっているのだが、中学生のときに聞いた大瀧詠一は、なんだかおしゃれでカラフルな感じがしたもんだ。その歌詞の世界では(詞は多くが松本隆によるものなのだが)だいたい若い男性と女性が出てきて、女性が「海が見たい」なんて言ってみたり、ドライブに行って女性に別れを告げた後に車が故障して気まずくなったり、あるいは男二人と女性の仲良し3人組でどっか泊まって、男同士はこの子に「手など出さない」と約束していたはずなのに「ぼく」じゃないほうがその女のことくっついちゃって悲しい、とかそういう、なんだかちょっとおしゃれな恋のエピソードが描かれていた。大人になったら女の子は「海が見たい」なんて言うのか、そういうものなのか、と思ったが、でも、自分のまわりのお兄さんお姉さんたちを見てもそんなかんじの人はいないし、暴走行為はあってもドラッグレースはないのであって、だからこれはいったいどこの世界の話なのか?と思ったのである。で、そのプラスチックな感じ、パステルカラーでつくりものなかんじは、のちに初期の村上作品を読んだ時に感じた印象と重なる。そしてそれはぼくのなかでは「幻想のアメリカ」になったのだと思う。
昔『ユリイカ』の村上春樹特集で書かせてもらった時、初期村上春樹を高校生の頃に読んでその無機質でにおいのない世界に魅かれて、その世界をアメリカだと思った、ということを書いた。
なんだか無機質でつるんとしていて、「僕」たちにはきっと、口臭も体臭もないのではないかと思った。それは現実のぼくの周りにあった小さな世界とは全く異質の世界で、景色も光も言葉もなにもかもが違っていた。泥臭くて汗臭い現実の生活とは対極にあるものだった。ぼくは自分の小さな世界の外側にあるこの「別の世界」にあこがれ、そしてその場所とは「アメリカ」なのだと思った。今思い返してみれば、だからこそ、アメリカ文学を読むようになったのではないかという気がするのだ。そして、もしそうだとしたら、ぼくがはじめて読んだ「アメリカ小説」は村上春樹だった、ということができるかもしれない。
『ユリイカ』2000年3月臨時増刊号 総特集 村上春樹を読む
もちろん村上春樹はアメリカ作家ではないのだけれど、あれを読んでアメリカ的なものを感じた読者っていうのはぼくだけではなかったのではないかと思ったのである。
村上自身は初期インタビューで、自分が小説などのアメリカ文化から吸収してつくった世界を「仮説としてのアメリカ」と呼んでいるのだが、そんな彼が作り出した作品を読んでアメリカを感じたぼくのような読者もいるわけで、これは世代的なものでもあると思うのだが、アメリカ文化に直接触れてそこに魅かれたのが村上の世代だとすれば、70年生まれのぼくのような世代は、その村上世代が翻訳再解釈再生産した「仮説としてのアメリカ」でアメリカに触れた世代ではないかと思う。そして、村上以外になににアメリカを感じたかといえば、大瀧詠一だった気がするのだ。
加えてもうひとつ挙げるなら鈴木英人のイラストである。FM雑誌の表紙になったり(山下達郎のジャケットもあった)して、この人のイラストはものすごい流行った。あれがただのイラストではなく様々な色の紙を切り貼りしているのだと知ったのはほんの数年前のことだが、ということは同じ色の中にある陰影やグラデーションが排除されているわけで、そのうえ風や光や水しぶきが可視化された、加工されたアメリカがそこにあって、これまた「仮説としてのアメリカ」として、それを受容する者に幻想を生んだのだと思う。
調べてみたら大瀧詠一と鈴木英人は48年生まれ、村上は49年だけど1月生まれなので、この3人、同学年である。
そういう人たちが「幻想のアメリカ」をつくってくれていた。80年代ってそういう時代だった。
2014年1月14日火曜日
Etgar Keret(エトガル・ケレット)のこと
最初にEtgar Keretの作品を読んだのはFlash Fiction Forward という超短編小説のアンソロジーでだった。この本は大学の講義で毎回一編ずつ読むアンソロジーとしてたいへん重宝したのだが、そこに収録された作品のなかのひとつだった。
”Crazy Glue”という作品で、だんなが浮気している奥さんが、なんでもくっつく接着剤を買ってくる。パッケージには天井から逆さにぶら下がった人間の写真が載っていて、だんなのほうは「こんな写真つくりものだよ。子供だまし」みたいなことを言うのだが、その日うちに帰ってみると奥さんの声は聞こえど姿が見えない。探してみるとなんと天井から逆さにぶら下がっている。「今降ろしてあげるから」とその唇にキスすると、キスした唇同士もくっついちゃった、というお話である。意味は分からない。でもなんかおかしい。接着剤のパッケージ、たしかにそんな写真あるな、とか思って「ハハハ、ヘンなの」と思った。笑える。
次に読んだのはこれまた授業で、今度はゼミでもう少し長めの短編をグループワークで読ませたときのこと。なんかいい題材はないかとMcSweeney’s(アメリカの季刊文芸誌。毎回変わる装丁にもその冒険者精神は体現されている)のバックナンバーをペラペラめくっていると”Cheesus Christ”という短編が。読んでみると、チーズバーガーチェーンCheesus Christの女性店長がGMに「うちのお店ってメニューにチーズバーガーしかないから、普通のハンバーガーを食べたいお客様が『チーズ抜きのチーズバーガー』って頼まなきゃいけないんです、でもそれって問題だと思うんです」みたいな進言をしようとしている。Cheesus Christって!「チーズ抜きのチーズバーガー」って!ナンセンス。「ハハハ、ヘンなの」。また笑った。
小説は、あるいは文学は、べつに笑わせるために存在するわけではない。がしかし、笑えるのが悪いわけでもない。いやむしろ、笑えるなら笑える方がいい。っていうか、小説読んで笑って思わず「ハハハ」と声が出ちゃった経験なんてあんまりないわけで、それがともにEtgar Keretという人の手によるものだったから、「これは呼ばれているな」と思ったんである。調べてみるとKeretはイスラエルの作家で、ヘブライ語で書き、ぼくが読んだのは英訳されたものだった。
次にThe Bus Driver Who Wanted to be God を取り寄せた。「神になりたかったバスドライバー」というこのタイトルからして、いい。神とバスドライバーは全然別物、だけどバスドライバーはバスの世界では神みたいな存在だ。毎日通勤にバスを使い、走って追いかけたバスに無情にも置き去りにされる経験が多数あるからこそよくわかる。また、表紙カバーのイラストもいいんだ。
読んだらやっぱりおもしろい。超短編が多いのだが、ちょっと変な設定ですっとぼけた感じ、まじめな顔してあほなことを言っているかんじ、そして、読者の期待をたえず外して意外な方向に持って行っちゃう。なんだけど「ハハハ、ヘンなの」のあとに、なんだか考えさせられてしまうのだ。
たとえば”Hole in the Wall”では町なかの壁に開いた穴が出てくる。ATMが撤去された後の穴だという。主人公は、この穴に大声で願いを叫べばそれが叶う、と聞くのだが本気にしない。しないけど、好きな女の子が自分を好きになるようにとか願って、でもかなわない。友達がいなくてさみしいもんだから「天使の友達が欲しい」と願うとたしかに天使が出てくるのだが、あんまり友達じゃないし必要な時にはいつもいないのだ。読者は最初はこの穴の正体が気になるのだが、それは触れられることはなく天使の話になり、天使は友達になるのかと思いきや友達甲斐のない奴だとわかる。こういう話かな?という予測がポキポキと折られ、次々に裏切られていく。
天使は背中に羽は生えているけど飛ぶことはない。主人公は「ちょっと飛んで見せてよ」と頼み、天使は断るのだが、冗談半分で5階からそっと押してみたら、天使はそのまま落ちて死んでしまう。最後に主人公は思う。「あいつは天使でさえなかった。ただの羽の生えたウソつきだ」。
なんなんだこれは?
短いのに、わからないまんまずっと腹に残る感じ。それがKeretの魅力だと思う。
Keretの作品はメディアミックスでいろんな作家に取り上げられていて、たとえば”Kneller’s Happy Camper”は Pizzeria Kamikaze というグラフィックノベルになり、さらには Wristcutters という映画にもなっている。残念ながら日本ではDVDさえ出ていないが、トム・ウェイツも登場するけっこうよくできた映画である。「幸せになる方法」を明かした冊子がたったの9.99ドルで販売されている話は『$9.99』というクレイ・アニメに、映画『ジェリー・フィッシュ』はKeret自身の監督作である。
ネットとケータイの時代になってニンゲンが隙間の時間でしかテクストを読まなくなりつつある昨今ゆえKeretの書くような超短編はそういうせっかちな今のニンゲンにはぴったりだとも言えよう。が、ただ、短いとはいっても簡単に消化できるようなものではないところがいいのだと思う。
作家ジョージ・ソーンダースの次の言葉はそんなKeretの魅力をうまく伝えている。
エトガルの作品はだいたいが厳密にはリアリスティックではありませんが、それなのに究極的な意味でリアリスティックです。彼の作品はこう言っています。人生って本当はこんな感じがするんじゃない?これこそが本質的にはぼくらが直面している問題じゃないの?そして、それを越えて、僕に言わせれば芸術がなしうる最高の行為をしてくれます。それは、人に慰めを与える、ということです。エトガーの小説はこう言うんです。親愛なる人間よ、うん、まああんたは今困った状況に陥っているけれど、そこにはまっているのはあんただけじゃないよ。俺もそこから出られずにいるんだ。ここはひとつ、俺たちが陥っているこの困った状況について数分間じっくり考えてみようじゃないの。好奇心とユーモアとやさしさを持って。そうしてお互いじっくり考えれば、俺たちにはよく理解できないやりかたで、物事はどんどんどんどん良くなっていくさ。
短い小説の中でじっくり考えてみること。逆説的だけど、この短いお話たちひとつひとつに圧倒的な不可解が、そして小説の豊かさが詰まっている。世界30か国以上で紹介されているEtgar Keret が日本語で読めないままではもったいない。
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