国立新美術館で開催予定の『遠距離現在』の図録をいただいた。
展示はまだ行けてないのだが、この図録に掲載された福永信さんの掌編「遠距離現在」がよい。
やはり福永さんが書く少年の世界はいい。章の番号が「1」ばかりなのも、直線的に進んでいくのではなく「それぞれが独立して並置されている現在」、という感じで、工夫がされている。死後の世界を見に行って飛び降りた少年が走馬灯を見て、でも走馬灯が暴走して体験していない未来まで見え、その中でまた冒頭に戻って走馬灯を見るという入れ子の話が好きだ。最後の死にかけている少年の夢もいい。周りの大人たちは勝手に「短い」人生を惜しむけれど、少年には常に「現在」しかなくて、その中での時間はすべて充実しているもので、そう思うといくつで死のうが長短に関係なく人生は充実しているものにも思えてくる。すべて夢の中の話だけれど、夢が「現在」ならばその中でぼくらはいくらでも遠くに行くことができる。これは「文学」にも似ている。