2015年11月24日火曜日

第25回福知山マラソン

 10月のアップルマラソンが不出走だったので、今シーズン最初のフルマラソン。福知山マラソンは5年前にはじめてサブ4を達成した思い出の大会である。しかし2週間前に赤穂でハーフを走った感じでは、ハーフでこんだけきつかったらフルは厳しいやろなーという予測。普段から走っていないわけではないのだけれど、どうもスピードが遅い。たぶん体重が重いのと体が硬くなっているのではないか。フルの前には練習で30Kくらい走っておきたいのだが、今回はロング走をしようとする度に雨にあたりそれもできず。ということで、まあ、完走できればOK、できる限り遠くまで歩かずに、キロ6分ペースで30Kまで行って、うまくいったらイーブンペースで最後まで、というプラン。

 朝5時起床。おにぎり二個、バナナ、ヨーグルト、オレンジジュース。5時40分出発。阪急で宝塚まで行って、宝塚から福知山まで各停。ずっと座れた。各停だと混んでないんだな。8時半くらいに福知山。駅からはシャトルバス。バスがバンバン走っているのでありがたい。受け付けは一応9時までだけど遅れても大丈夫。

 福知山に着いたら靄がすごかった。100メートル先も見えない感じ。天気予報では雨だったので、いやな予感。駅でまたおにぎりと菓子パン。バナナ2本も補給。

 会場で着替え。めちゃくちゃ混んでる。そして荷物預かりがなく、貴重品は預けられるがほかは体育館に置きっぱなし。なくなっても文句言えない。これはちょっと怖いなあ。万が一カバンなくなったらTシャツ短パンで帰らなあかんやん。

 トイレ行きたいけど長蛇の列なのであきらめ、スタート後に行くことにする。

 10時半スタート。

 しばらくダンゴ状態。流れに任す。多少ばらけてキロ6分のペース。2.5キロでトイレ行ってスッキリ。5キロくらいから体が軽くなってキロ5:30くらいに上がるが、自重自重とペースダウン。10キロごとにパワージェルとかスポーツようかんを投入するが、なんだか気持ち悪い。

 25キロの折り返しくらいからしんどくなってくるも、ペースを守って30キロ。たぶん3時間ちょうどくらい。さて、ここからがしんどいところ。給水で止まると歩きたくなっちゃうから毎回ではなく飛ばしつつ行く。天気もだんだん良くなって、雨が降らないばかりかお日様も出てくる。

 どうもこういう42キロ走り切れるか歩いてしまうか、というランナーにとっては35キロが勝負ですな。 35キロくらいで「もう十分頑張った。歩いてもいいやん」という気がいったん起きます。そこで歩いてしまうとそのあとはなかなか走り続けられない。今まで何度もこのあたりから歩いたことはあるのだけど、歩くと寒いし、遅い分ゴールが遠のくのもわかっている。そこで踏み続けます。たぶんこのあたりからペースダウンしてキロ6:30-7:00。なんとか37キロまで行くと「あと5キロ」。5キロやったら普段走っているあそことあそこの間の距離やなあ、それくらいやったらいけるんちゃうの?とポジティブ思考。それ以降は「残り4キロ」「残り3キロ」と減っていく度に、「ここで歩いたらもったいないやろ」という気が強くなっていく。体はガタガタだけど。

 このレース、最後の上り坂、あと1キロくらいのところでキッズランナーに伴走してもらうことができる。小三くらいのかわいいボクちゃんと一緒に走るのだ。こちらはヘロヘロだけどキッ ズは元気。大人のプライドとして止まったり歩いたりするわけにはいかん。「ちょっと速く走るのもできる?にいちゃんもがんばるで」とスピードアップでゴー ルイン。いい企画だ!

 なんとか最後まで歩かずに4時間21分。タイムは凡庸でも、シーズン最初のフ ルで歩かなかったというのが嬉しい。やるやん、オレ。

 レース後は、風呂&うまいものが楽しみなのだが、福知山は遠いし帰りの電車も1時間に一本程度しかないので、風呂入ったら夜遅くなるなーと諦め、また、最近はフルだと胃がやられてゴール後全く食欲がないのでうまいもんも食わず。ソフトクリームだけ食べて帰る。特急こうのとり。自由席でも座れたけど、体コチコチになってきてしんどかった。帰宅して風呂入って飯食って10時に寝る。

 フルマラソンはなかなか当たらないので、今シーズンは2月の姫路城しかない。落ちたのは大阪、神戸、奈良、京都、泉州、篠山。そのぶんハーフで楽しもうと思う。ハーフだとゴール後も元気なのでビールも飲めるし。次は1月の武庫川ハーフと大阪の30K。なんとか体重を落としたい。

2015年11月20日金曜日

ジュンパ・ラヒリ 『べつの言葉で』

 『その名にちなんで』などで知られるジュンパ・ラヒリのエッセイと短編が収録された本であるが、イタリア語からの翻訳である。そこがおもしろいところ。他者の言語であるイタリア語に憧れ、学び、イタリアに住み、そしてその言語で書く。
 ラヒリのイタリア語への思いは一方的な片思いであり、その習得も、たとえば移民や難民にとってそうであるような、身につけなければ生きていけないような必要に迫られたものではない。

 その言語によって育てられた経験に基づく内在化された文法を持たず、学習によって習得する言語には、どこまで行っても縮まらない距離が存在する。ラヒリは書く。

「イタリア語できれいな文を作り出すことがあったとしても、それがどうして美しいのか正しく理解できない」。

これはすべての外国文学研究者が持ち続ける間隔ではないか。その言語を母語とするものにしかわからない機微を読み逃してしまうのではないか、という不安はつねに外国語文学者につきまとう。ネイティヴによって自分の読み方が「違う」と否定される可能性はつねにあり、どれだけ学んでも外国語との間の距離はゼロにはならない。

 ラヒリはそれでも書く。その理由は、彼女自身の言によるなら、移民2世という出自によるものだ。ベンガル語という両親の母語であり家庭内で使用される言語と、英語という生まれ育った場所の限ン語の双方の「どちらとも一体になれなかった」ゆえである。だから彼女は「生まれてからずっと、自分の原点の空白から離れようとしてきた」。そしてそのいま空白を、自分の外部で埋めようとしているのだ。

 そして我々日本の読者が直面するもうひとつの距離は(そして複雑なことに本書の英訳版を読む、彼女の母語である英語で読む読者にとってもそうなのだが)ラヒリの手によるテクストが日本語になるには、さらに「翻訳」というプロセスを経ているということにある。書いた本人でもその美しさが理解できない文章を、さらに加工されたものでしか我々は読むことができない。と同時にそれはラヒリ自身にとっても、彼女のイタリア読者にとっても、翻訳を通して読む我々のような読者にとっても、すべての人にとって外国語であるような言語だとも言えるだろう。

そして文章の美しさはわからなくとも、英語とイタリア語の二つの言語を、年の離れた二人の子に喩え「ずっと弟のままではいるだろうが、この華奢な子は何とかやっていける。長男のおかげで、わたしは次男を見たり、その声を聞いたりできるし、少しほれぼれとしてしまうことさえできる」と書くラヒリのレトリックには、やはり類まれな文学的センスがあるのだと気づかされる。

2015年11月18日水曜日

リチャード・パワーズ 『オルフェオ』

 パワーズ最新作。遺伝子に音楽を書き込もうとする日曜科学者がテロリストの嫌疑を受けて逃亡する。逃避行と並行して、音楽家としての彼の来し方が再現される。

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 パワーズにしては珍しく物語の構造が単線的で、複数の話をあっと驚く仕掛けて絡み合わせることはない。
 冒頭の愛犬フィデリオのエピソードからグッと来る。歌うことを好む犬とはなにか?そもそも「歌う」とはなにか?鳴くこととは違うのか?音楽を奏でる発声が「歌う」ことだとするならば、では「音楽」とはなにか?音の知覚が異なる動物には別の「音楽」があるはずではないか?

エルズがフィデリオと同じ音階に移動すると犬は半音、上がるか下がるかする。人の声が和音で響くと、犬はそこにない音で鳴く。集団がどんな和声を響かせても、フィデリオは必ずそこにない音を探り当てる。

和音が心地よいのはあくまで人間の知覚においてであり、フィデリオはそこにない音をこそ好み、歌うのだ。ここで音楽の謎をめぐる物語が予感される。しかし、そうはならない。退場した犬は戻らず、あとはヒトの話である。

正直な感想を記すなら、ラスト50頁くらいまであまり物語に入れないままであった。エルズがパーキンソン病の治験中のリチャードと再会するところから物語が動き出し、そこでようやく引きこまれたが、そこまでは、音楽の描写は迫力はあるけど、まず音楽理論の知識がないのでなんのことやらわからない、という事態が頻発、かつ物語上の出来事についても比喩やひねった言い回しであえて直接的な表現をしていない箇所が多いため、しょっちゅう話を見失うこととなる。遺伝子に音楽を書き込む、ということじたいいまだに具体的にどういうことなのかわからないままだ。

読み終わって思ったのは、この小説は読む人を選ぶ作品だということだ。音楽の理論的知識、歴史的背景をリテラシーとして持っている人たちには、この音楽描写で音が聞こえるのだろう。うらやましい。ワタシのような「第二倍音」「短三度」「喜歌劇」さえ解さない読者にはなかなか音楽は鳴らない。だからわかりやすかったとは言えない。
 
しかしだからといって本作が評価できないわけではない。
 
むしろこの作品はワタシにはとても魅力的に映った。とてつもなく頭がよく、すべてを緻密に整えて破綻しない印象のあるパワーズが、とにかく音楽へのあふれんばかりの愛を横溢させ、読者がついて来ようが来まいが関係なく突っ走っている感じがしたのだ。「いや、俺は音楽すきやから少しの人にしかわからんでも好きな音楽のこと詰め込んだるねん!」と。だとしたら、それに関してはもう全面的に支持、「いいぞ、やれやれ!」って感じなのである。人に理解されなくとも、「でもやるんだよ!」である。それは、理解者がいなくとも実験的で先鋭的な音楽を追求し、最愛の妻からさえ支持されなくなった主人公のエルズの姿とも重なる。常人には感知できない芸術が「聞こえてしまう」「見えてしまう」「わかってしまう」天才の孤独を、同じ孤独を抱える天才が描いて見せたのだ。天才ではない読者はただただ圧倒されればよい。

しかし圧倒されるだけではすまない読者が一人だけいて、それが本書を日本の読者に届けてくれた翻訳者である。ワタシのような気楽な読者は「音楽のことわからないから聞こえない」で済むけれど、彼だけはすべての音を聞こえるまで耳を澄まし、聞き取らねばならない。これだけの博覧強記によくぞ伴走(伴奏?)したものだと、改めて敬服。

2015年11月9日月曜日

第四回赤穂シティマラソン

6月にはじめて赤穂を訪れた際に牡蠣を食べて以来の赤穂ファン。今回の出走も牡蠣目当てである。フルならレース後胃も弱って「なにも食べたくない」ってこともあるが、ハーフならそこまでヘロヘロではなかろう。ということで大変楽しみにしておりました。

が、前日の天気予報は雨。60%とか70%である。雨降ってびしゃびしゃになったら、レースもしんどいし終わったあともすぐ帰りたくなるかもなあ、しかもこの日は夕方から高校の同級生と大阪で会う約束もあるのであんまびしょびしょになりたくないなー、と心配。

当日起きるとまだ雨は降ってない。午前中だけでいいからなんとか持ってくれーと願いつつ六時半頃出発。六甲道まで歩いて快速で姫路までそこから乗り換え。駅からシャトルバスで会場に行き、着替え手荷物預けたらちょうどいい時間。

スタート時点でも雨はなし。よかった。

キロ6分程度のペースで走り出す。Tシャツの上に雨よけのウィンドブレーカーを着ていたが暑くなって早々に脱ぐ。最近気になっているのだが、普段走っていてもどうもペースが遅い。だいたい6分台で走っている。体重が増えているのと、あともしかしたら体が硬くなっているのも原因かも。だいたい10キロくらいまではキロ5:45-6:00ペース。そのあとなんだか軽くなって5:30くらいに上がる。キロ6分のペースメーカーを抜いて快調に進む。最後の1,2キロはキロ5分ペースでいけた。

ネットで1時間56分。いいタイムではないのだが、今シーズン初レースだってのと、走り始めではキロ6分で「このままやったら2時間越えてまうなぁ」と思っていたので、2時間切れたのはよかった。あ、でも手元のGPSでは300メートルくらい距離が短かった。

ハーフなので無理なく完走できたが、今の感じでフル出ると相当きつそうだなあ。今月は福知山があるが大丈夫か?そして篠山の申し込みを忘れたことに気付く。ああ。

雨も最後まで降らず、天気がよければ海沿いの景色とかがもっときれいなのだろうなあとそこは残念であったが、濡れずに済んだのはラッキー。

ゴール後、サービス券で焼き牡蠣を食べ、歩いて「かましま」へ。牡蠣の店である。生牡蠣、焼き牡蠣、牡蠣フライ、牡蠣おこと食べて大満足。30分くらい待ったけどその価値あり。これだけの牡蠣、神戸じゃなかなか食べられない。

「かましま」さん。ランナーでごった返してるかと思ったらそうでもなかった。一般のお客さんと半々くらい。

焼き牡蠣、フライ。どっちもうまかった。
牡蠣おこ。これまた絶品。



気になったのはこの周辺を含め町中に人が少ないこと。ゴール地点の出店だけでなく、町中の食堂とかでもランナーがごはん食べて帰ってもいいと思うのだが、あんまりいなかった。休業している飲食店もあったし。もしかしたらシャトルバスが原因ではないか。帰りも会場から駅へのシャトルバスがあるのだが、それ乗っちゃうとまちなかを見ないまますぐ電車乗って帰ることになる。たいした距離ではないのだし、帰りのシャトルをやめて歩いてもらったら、地元のお店にもお金が落ちてよいのではないかと思った。

説明を追加

お風呂がどうも近くにないので、姫路まで行って銭湯に入り、そのあと友人TNK氏に会いになんばへ。疲労とビール、早起きのおかげで電車内ではよう寝た。あっという間に着いた。めっちゃ楽しい夜であった。




2015年11月7日土曜日

『早稲田文学』2015年冬号

『早稲田文学』冬号。今回は「移動」をテーマにした「世界文学ケモノ道」特集。

表紙をぱっと見て「ん?SEALDs特集?」と勘違い。よく見ると同志社の藤井さんがいて「あ、藤井さん、そっちもがんばってるのかぁ」とまだ勘違い。中身を読むと表紙の人たち、実はそうそうたる面々で、日本の外国文学研究を担う若くてすごい方たちでした。ダムロッシュの翻訳をされた秋草さん、クロアチアの亀田さん、バスクの金子さん、ドイツの浅井さん、トルコの宮下さんは昨日ちょうどオルハン・パムクのことを調べて名前をお見かけしていて、みなさん面識はないけどワタシでも名前は聞いたことのあるご活躍の方々である。みなさん若いし、いろんなものをよく読んでるなあと感心。


中身も充実していてそれぞれの専門地域のおすすめ作家が日本語訳で読めるという豪華版。ワタシが学生だったら小躍りして喜んで読んだと思う。



なかでもおもしろく読んだのがラテンアメリカの松本さんが訳されたグァテマラのエドゥアルド・ハルフォン。世界文学特集で取り上げられた短編の中にかつてのキャノン的「世界文学」が入れ子ではいってる。大学を突然辞めた学生のもとを教師は訪ねる。文学は誰のものか?ほんとはここにあるべきじゃないのか?

大学に文学部いりますか?みたいな世知辛い日本の状況と相まって、「文学」の場所について考える。「言葉の三つ編み」はあらゆる人が編めるものとして開かれていてほしい。

最近外国文学をこうやって本格的に紹介してくれる媒体って少ないから大変ありがたい。まとめる藤井さんの手腕も見事。これは買って損はない。

ワタシもケレットについてちびっとだけ書いてます。

夏にLAの空港の本屋を見たとき、英米の作家に交じってKeretやMurakamiといった海外の目ぼしい作家も並んでて「世界文学ってここか」とちょうど思ったとこだったので今回の「国際線ターミナル」というフレーズは、まさしく、という感じだったのだけど、でもこれあくまで「英語で読める世界文学」だよなあともそのとき思った。マイナーな言語で書いている作家が英訳されて広く読者を獲得するのは良いことだけど、結局はグローバリゼーションの文学版で、資本のあるアメリカの大きな出版社や英語という強大な言語によって周縁が取り込まれていっているだけならばまずいんでないかと。グローバリゼーションによって世界がのっぺりと均されてどこの国行ってもモールに同じ店が並ぶように、それによって、「世界文学」が世界中どこ行っても限られたワンセットの作家たちってことになるならそれは豊かじゃないなあと。でもきっと今、そうなりつつあるのだろう。多くのマイナーな言語の作家が英訳され、彼らはアメリカに渡ってリーディングやイベントに参加する。当然アメリカの市場や英語に訳されることを意識してローカル・カラーを控えることも出てくるだろう。そして英訳が出ることが世界的に評価されたり出版されたりすることの不可欠な要素になっているとするならば、アメリカや英語は、そこを通らずにはどこにも行くことができない巨大なハブ空港の役割を果たすことになる。他の言語はからっきしダメでかろうじて英語が多少読める程度のワタシはそのハブ空港で覗き見して、あれがおもしろいこれが好き、とやっている。でもきっと世界にはハブ空港を使わずに単独飛行している小さなセスナがたくさんいる。それを見たい。藤井さんは本誌所収のエッセイでターミナルに対する「荒れ地」の可能性を提唱している。荒れ地にはセスナからでさえ見えない地べたの視点があるだろう。それが見たい。世界が縮んでしまった?でも足元の小さな虫たちの世界は「世界」より濃密でおもしろいかもしれない。それが見たい。

ケモノを探してモノノケに会ってみたい。


しかし本号の一番のおすすめは、坪内逍遥大賞奨励賞を受賞された福永さんの特別寄稿だと思ふ。変わらず快調にふざけていて、「書くことがなくても書くことはできる」の見事な実践だと思ふ。みなも買ったらよろしいと思ふ。おすすめです!と思ふ。

先日ゼミ生と飲んだ時福永さんの話になって、「福永さん、今なにしてるんかなぁ、って思う時があるのよ」って話をしたら学生に「恋や!恋!」と突っ込まれた。かもしれない、と思ふ。