2016年4月29日金曜日

甲南大学生協書籍部

 うちの大学の生協書籍部、サイコーであります。

 拙訳のエトガル・ケレット『あの素晴らしき七年』(新潮クレスト・ブックス)の発売に際して、「手製のポップ持っていきますんで掲示してもらえますか?よろしくおねがいします」とお伝えしていたところ、なんとこんな大々的な展開をしてくれました。

入口正面のディスプレイ。中央の一冊はネコに支えられているのだ。

こちらは店内。新潮クレストのミニコーナーでもある。
これはすごいとエトガル本人に写真を送ったところ、喜んで早速自身のFacebookに載せてくれました。いち教員のわがままにここまで付き合ってくれる書籍部、素晴らしい!うちの学生にもたくさん読んでもらえたら嬉しいです。

ワタシは自分の単著がまだない(「はやく単著を出そう」という師匠の声が・・・あぁ。いや、この次にがんばりますよ!)のですが、想像するに自分の本だとなかなか積極的な営業は照れくさくてしにくいであろうところ、翻訳者で、しかも作者が好きな作家で友だちでもあるという関係ゆえ、なんだか気分は応援団、 とにかくいろんな人の手に届けるべくがんばるモードとなっております。

ということで今日は大阪神戸のめぼしい書店を回って手製のポップを掲示してもらえないかお願いしてきました。みなさん快く受け取ってくれて感謝です。

「重版がかかってようやく出版社への義理を果たしたことになる」というこれまた師匠の言葉を思い出します。そしてすべては、ひとりでも多くの日本の読者にエトガル・ケレットという作家を知ってほしいという思いから始まったことなので、それができるというのはとても楽しくもあります。

今回は来日が叶いませんでしたが、ケレットさんは翻訳が出版されるとできる限りのその地を訪れる作家です。昨年の春に『突然ノックの音が』の出版に合わせて日本に来た時も「来なければぼくの本が売れる可能性はノーチャンスだ。でも来れば可能性が生まれるかもしれない」と言っていました。

書店で見かけたら手に取っていただければ、また、お知り合いなどにお勧めいただければ幸いです。よろしくおねがいいたします。

2016年4月21日木曜日

エトガル・ケレット 『あの素晴らしき七年』

イスラエルの作家エトガル・ケレットのエッセイ集『あの素晴らしき七年』が、新潮クレスト・ブックスより25日に発売となります。私にとっては初めての翻訳書です。

Finally, the 20th sibling of Etgar Keret's The Seven Good Years is coming out in Japan in a week!

見本が届きました。アメリカ版を踏襲したジャケット。目立つ!


アメリカ版と双子である。


表紙裏のblurbはな、な、なんと、西加奈子さん!

この下にすごいことが書いてあるぜ。


なにが書いてあるかは・・・



見せて・あ・げ・な・い♡




来週水曜くらいから書店に並びますので、ぜひ本屋でご確認を。

「それは西加奈子さん、あなたもですよね?」とうるうるしてしまった。またしても腹が熱くなった。

読んで楽しんでもらえれば、そして本好きのお友だちに勧めていただければ嬉しいです。よろしくおねがいします。

2016年4月2日土曜日

木村友祐 『イサの氾濫』

 青森は八戸の街に、東京で職を失くした将司が帰ってくる。伝え聞いた暴れ者の伯父勇雄について知りたいと思う。親戚中に迷惑をかけ、実の兄に殺されかけた伯父である。

 小説が描くのは震災後の八戸で、将司が言うようにそこは被災地とはいえ「一人しか死んでない」。もっと大きな被害を受けたところと比べたらまだマシであり、将司は思わず父親に「被害者面するな」と言ってしまう。

 でありながら、自分は東京で繰り返される「がんばれ東北」という無責任な言葉にも嫌悪を感じ、上っ面だけの言葉で自分の良心を肯定してあとはきれいさっぱり忘れてしまえる人々を憎む。

 身の置き所もなければなにか行動を起こすこともできない。ただただ違和感を胸にわだかまらせているだけなのだ。

表紙


 冷遇されてきた東北の歴史、そしてそれがメンタリティに書き込まれ、惨状を訴えることもなく声を飲み込むばかりの東北の人々が見事に描かれている。被災者なのに「東京の人にお荷物だと思われてはいないか」と心配する小夜子に。角次郎の次の言葉に。

 「こったらに震災ど原発で痛めつけられでよ。家は追んだされるし、風評被害だべ。『風評』つっても、実際に土も海も汚染されたわげだがら、余計厄介なんだどもな。そったら被害こうむって、まっと苦しさを訴えだり、なぁしておらんどがこったら思いすんだって暴れでもいいのさ、東北人づのぁ、すぐにそれがでぎねぇのよ。取材にきた相手さも、気遣いかげたくねぇがら、無理して前向ぎなごど言うのよ。新聞もテレビも、喜んでそういう部分ばり伝える」

 呑み込んだ言葉やわだかまった思いは最後に解放される。「イサの氾濫」の場面は圧巻である。

 震災に対して、その後の現実に対して、どうしたらいいのか、正解はない。でも、ここで描かれた圧倒的な生の肯定には希望があると思う。

 東北のふどだぢ、読まねばまいね。

 あと併録された「埋み火」がこれまたすごい迫力。おっかない。
「かねんじょ」みたいな人って昔は通学路に必ず一人はいた気がする。そういう「異質な人」が排除された社会になっているのが怖い。


 作者が同い年で同じ青森の出身というだけで手に入れて読んだ。全編生きた八戸の言葉で書かれている。わが故郷弘前とはちょっと違うけど、大きく分類すれば一緒であり、「香り(かまり)」「ずぐなす」とか、ああ、んだんだ、って読んだよ。震災を見事に描いた小説だど思う。傑作だびょん。

 いい話っこだ。