2018年11月24日土曜日

作家は「良いウソ」で闘う

ケレットさんの翻訳を介してつながった「未翻訳ブックレビュー」さん、11.17にも東京から来てくださいました。読み応えたっぷりの映画評です!「作家は「良いウソ」で闘う」。まさしく!http://kaseinoji.hatenablog.com/entry/keret-documentary?fbclid=IwAR27saVW9MDev8syFSKd9OCep-olUnle3XDiS8jNB6_doU6bgf3uA5ef1FU

2018年11月20日火曜日

文芸イベント『今、この世界で、物語を語ることの意味』・・・そして国際エミー賞!

去る11.7(土)に甲南大学で開催した上記イベント、たくさんの方にご来場いただきましてありがとうございました!
みなさまの熱のこもったアンケートを読ませていただき、新たなる企画を練ろうとすでに画策しております。

温さん、福永さん、木村さんのシンポジウム、お三方の個性と曲げられない信念が表出してとても刺激的でした。考えてみればそれぞれ個人のご講演なんかはあっても、こうして3人の作家が一堂に会してひとつのテーマについてお話をされるイベントというのはなかなかなく、とても貴重なお話を聞かせていただくことができ、この場に参加してくださったお三方に感謝申し上げます。

できればお三方のことばはいずれ正確な形でどこかで発表できればと思います。

そして第一部で上映したステファン・カース監督『エトガル・ケレットーホントの話』、なんと本日入ってきたニュース、国際エミー賞の芸術部門を受賞しました!

会場でも大好評でしたが、これは日本でも上映なり放送なり、しなくてはいけません!

楽しみにお待ちください!




2018年11月9日金曜日

『新潮』12月号 「犬とエスキモー ー エトガル・ケレット 、日本からの視察団と語る」

『新潮』12月号に、拙訳・構成で「犬とエスキモー  エトガル・ケレット 、日本からの視察団と語る」が掲載されております。2月にイスラエルに行った時のミーティング音声を起こして訳してギュギュッと縮めたものです。



この号には『新潮45』問題に関する小特集もあって、ヘイトの根っこにある恐怖を犬の喩えで語るケレット  さんの言葉には、この特集とつながる部分も大きいと思います。

タイトルの「犬とエスキモー」は最初から決めていて、気に入っています。怯えて吠えたり噛み付く犬にならぬよう、恐怖心につけ込む政治に操られぬように賢く平穏に生きたいものです。


担当してくれたKさんはイスラエルでもご一緒したのですが、彼女のエンピツで自分の訳文の無駄な表現が、庭師に枝葉を切られる木のようにスッキリしていきました。感謝です。

末尾には11.17のイベントの告知まで入れてくれてます。これまた感謝です。

エトガルの聡明さと、あと、変わらぬおもしろおじさん力が発揮されております。この記事だけでなく他の作品も充実した号だと思いますので、ぜひお買い求めを。

2018年10月26日金曜日

甲南大学プレミア・プロジェクト「今、この世界で、物語を語ることの意味」

11.17(土)に甲南大学で開催される文芸イベント「今、この世界で、物語を語ることの意味」が近づいてまいりました。イスラエルの作家エトガル・ケレットについてのハイブリッド・ドキュメンタリー映画の上映と、温又柔・福永信・木村友祐の3人の日本文学の最前線を走る作家のシンポジウムの豪華二本立てです。

事前申し込み優先制なのでぜひ大学サイトhttp://www.konan-u.ac.jp/news/archives/21528 からご登録を!

今日は、学内で協力してくださっている書籍部の写真を紹介します。この棚、イベントのためのフェアを組んでくれています。温さん・福永さん・木村さんの作品が勢揃い。ケレットさんの作品も(絵本まで!)置いてくれてます。こんな素敵な書籍部がある大学でよかった!って思ってます。

お近くの方、学外の方でも入れますから、ぜひ見に行ってみてください。

2018年9月21日金曜日

『ドルと紙幣のアメリカ文学』

ようやく初の単著を出すことができました。ここ十数年に渡って書きためてきた論文をまとめたものです。



紙幣と書物は似ている、という発想を起点に、アメリカの貨幣制度の変遷や、紙幣デザイン、発行主体の移り変わりと、同時代の小説における想像力にパラレルな関係を見出そうとするものです。
研究書としてはいささか毛色の変わった本かと思いますが、研究者の世界の外の読者にもある程度楽しんでもらえることを念頭に置いて書きました。
面白がってくれる読者のもとに届いてくれれば言うことないです。

すでに送り出したので、あとは
「いい旅になるといいね」
と言ってあげるだけだな。

2018年9月17日月曜日

文芸イベント「今、この世界で、物語を語ることの意味」at 甲南大学 ~『エトガル・ケレットーホントの話』上映会&温又柔、福永信、木村友祐シンポジウム

来たる11月17日に神戸市東灘区の甲南大学で、文芸イベント「今、この世界で、物語を語ることの意味」を開催いたします。

豪華2本立てで入場無料(事前申し込み優先制)です(事前申し込み登録サイトへのリンクはこちら)。

事前申し込み登録はコチラ


第一部はイスラエルの作家エトガル・ケレットその人と彼の作品を巡るハイブリッド・ドキュメンタリー映画『エトガル・ケレット―ホントの話(Etgar Keret: Based on a True Story) (ステファン・カース監督 2017)の上映会。日本語字幕付きで、日本初公開!これを逃したらたぶんしばらく日本では見られません。

不思議なストーリーを生み出すおもしろ深いおじさんエトガル・ケレットのファンの方はもちろん、ファンじゃなくてもこの映画を観たらケレットさんに会いたくなること確実です。本人主演で実写とアニメーションを織り交ぜたとてもよくできた映画です。ぜひ見に来てください。

第二部は作家の温又柔さん、福永信さん、木村友祐さんをお招きしたシンポジウム「今、この世界で、物語を語る意味」です。

ケレットさんからも短いビデオ・メッセージをもらい、そこを出発点として、いまの日本の文学を代表する3名の作家に、小説を紡ぎ発表することの意味についてお話していただきます。「今、この世界」の含意としては「文学が読まれなくなっている」今、この世界でもありますし、「他者への不寛容さが世界的に広がりつつある」今、この世界でもあります。

「台湾生まれ、日本語育ち」で、国や文化や言語の境界の暴力性への違和感を表明する温さん、震災やホームレスといった今の日本社会が「なかったことにしようとしている」現実を鋭くえぐって読者につきつける木村さん、そして実験的、遊戯的な手法で日本文学の最前線で軽やかに遊び続ける福永さん。こんなメンツが3人も揃うなんて、これまた豪華です。どんなお話になるのやら、楽しみです。

ぜひ、ご参加ください。





2018年9月13日木曜日

J-Wave Special "Israel, Feel the Vibration"

J-Waveのイスラエル特集番組にエトガル・ケレットさんの紹介で電話コメントしてます。ちょっとだけですが。
気になった方は是非聞いてね。
etgarkeret顔写真https://www.j-wave.co.jp/holiday/20180917_21/

2018年8月21日火曜日

ナショナル・シアター・ライブ『欲望という名の電車』

 同業の友人に誘ってもらってKAVCにてナショナルシアターの『欲望という名の電車』を見る。
 お芝居を撮影した映画なのだが、非常に臨場感があってよかった。young vicというこの劇場は様々な設定が可能だそうで、今回は観客席は円形で、中央の舞台はあのアパートの部屋が壁なしのむき出しで設置され、でもドアや階段もあり、役者たちはいろんな角度から見られることになる。そしてその舞台が回る。
 ブランチのカン高い声と舞台上でどんどん老けて行く様子が印象的。本で読むよりもその狂気がかんじられた。
 舞台が休憩に入ると、その休憩中の劇場の様子がスクリーンに映し出される。面白い。こっちも劇場にいる感じになる。
 最後に精神病院に連れて行かれるブランチは、このセットから下に降りて、セットの周りをゆっくりと歩く。目線はあちこちに彷徨うが、この時初めて観客は彼女と視線が合うことになり、きっとドキッとするのだろう。
 3時間以上あるけど全く退屈しない。おススメ。

 https://www.kavc.or.jp/cinema/2871/

2018年7月13日金曜日

(予告)Etgar Keret: Based on a True Story上映会 & 温又柔、福永信、木村友祐さんのシンポジウム「今、この世界で、物語を語ることの意味」

予告です。まだ4カ月先ですが、関心のある方にはあらかじめ予定を空けておいてほしいので、早めの予告です。

11月17日(土)午後に神戸市東灘区の甲南大学で文芸イベントを開催いたします。豪華二本立てです。一般の方にもオープンの、かつ入場無料です。

第一部はイスラエルの作家エトガル・ケレットその人と彼の作品を巡るハイブリッド・ドキュメンタリー映画 Etgar Keret: Based on a True Story (Stephane Kaas監督 2017)の上映会。




日本語字幕付きで、日本初公開!これを逃したらたぶんしばらく日本では見られません。
不思議なストーリーを生み出すおもしろおじさんエトガル・ケレットのファンの方はもちろん、ファンじゃなくてもこの映画を観たらケレットさんに会いたくなること確実です。本人主演で実写とアニメーションを織り交ぜたとてもよくできた映画です。ぜひ見に来てください。

第二部は作家の温又柔さん、福永信さん、木村友祐さんをお招きしたシンポジウム「今、この世界で、物語を語る意味」です。

ケレットさんからも短いビデオ・メッセージをもらい、そこを出発点として、いまの日本の文学を代表する3名の作家に、小説を紡ぎ発表することの意味についてお話していただきます。「今、この世界」の含意としては「文学が読まれなくなっている」今、この世界でもありますし、「他者への不寛容さが世界的に広がりつつある」今、この世界でもあります。


http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309026954/  http://www.shinchosha.co.jp/book/324731/  http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624601195

「台湾生まれ、日本語育ち」で、国や文化や言語の境界の暴力性への違和感を表明する温さん、震災やホームレスといった今の日本社会が「なかったことにしようとしている」現実を鋭くえぐって読者につきつける木村さん、そして実験的、遊戯的な手法で日本文学の最前線で軽やかに遊び続ける福永さん。こんなメンツが3人も揃うなんて、これまた豪華です。どんなお話になるのやら、楽しみです。

 

現在ポスター等鋭意作成中。近くなりましたら大学サイトより参加申し込み受け付けを致します。スケジュールを空けてお待ちください!

2018年7月9日月曜日

木村友祐「生きものとして狂うこと」

 木村友祐さんのスピーチが載っている『新潮』を買ってきた。早速読んだ。まずはこれを書ききって発表した勇気を称えたい。
 木村さんが表明しているのは、誰もが狂ってもおかしくないほどのあの震災があって、われわれの日常の初期条件さえ変わってしまったあとなのに、震災前と同じような書き方を続ける文学とは、そしてそれを書く作家とは何なのか?という違和感である。別に個人を挙げて攻撃しているわけではないし、悪意があるわけでもない。でも、自覚のある作家は痛いところを突かれた、と思うだろうし、なにも思わないならその人はよっぽどぼんやり生きているのだろう。波風は立つだろう。例の被災者を扱った「美しい顔」と並べて論じる人も出てくるだろう。火種である。だから勇気を称えたい。
 

 ワタシは木村さんと同じ青森県の出身である。高校の時に現代文の教師が「青森県だっきゃ(っていうのは)日本のごみ捨て場だんだよ。原発、核燃サイクル、原子力船むつ。ごみばっかり持って来られるんだ」と言っていたのを覚えている。よくわからなかったが「ごみ捨て場にいるのはいやだなあ」と思った。テレビのニュースでは原子力船の寄港や原発に反対する人たちの運動の様子が時折映されたが、「この人たちはなんで反対反対ってやってんだ?」という以上のことは考えなかった。そして高校を卒業してからはずっと地元を離れている。「ごみ捨て場」だから離れたわけではないが、「離れられてラッキー」という思いが全くないかと言えば、正直、そんなことはなくて、物理的に離れたからいやなものを見ずに生きて来れたし考えずに済んだのだ。「憂鬱な現実」から目を背けることができた。

 2011年に東北で震災が起こった。津波で多くの方が亡くなった。福島の原発はいつになったら廃炉できるのかわからない。われわれは気の遠くなるほど長期的な、いつまでも続く「憂鬱な現実」を生きるほかなくなった。それでも人は辛いのはいやだから、辛い現実ばっかり見ていると狂うから、目を背けるし、安くても「絆」とか「がんばろう」といった物語にすがる。それじたいは生きていくための手段だし、あんまり批判したくはない。
 ただ、政治は別だ。オリンピックを呼ぶために福島の原発は「アンダー・コントロール」だと嘘をついたこの国の首相。そしてあれだけの事故が起こったのに原発再稼働に突き進む現政権。安い物語を利用し、それを信じる人々を利用する政治。まさに「あったことを無理やりなかったことにしようとしている」のが今の政治だ。
 だから、この震災に反応しないまま、震災前と同じ書き方をしている「文学」は、この政治の動きを「追認」してしまうことになる、と木村さんは言う。もちろん皆がみな震災を書くべきだという訳ではないし、スタイルは作家それぞれだろうと思うが、しかし、たしかに日本の小説は震災前と震災後でなにか変ったのかと言われれば、そこに劇的な変化はなかったように思う。
 
 消化できないような巨大な惨事を目の当たりにしたとき、それを受け止める助けをしてくれるのがことばだと思う。不条理を馴化してくれるわけでもなければ、理解可能なものにしてくれるわけでもなく、ニュースのことばとも違う、ぶんがくのことば、そういうものがあるはずだと思う。95年の震災のとき、ワタシは97年の草野正宗の書くスピッツの「運命の人」の歌詞にぶんがくのことばを、2011年の震災のあとにはトモフスキーの『いい星じゃんか』というアルバムの歌詞にぶんがくのことばを見つけた。木村さんの『イサの氾濫』は、ワタシにとってそういうぶんがくのことばのひとつだ。これを読んで震災に慣れたわけでもなければ理解できたわけでもない。でも、理解不能なでかいものを受け止める手助けとなったことばだ。だから『イサの氾濫』はワタシにとって大事な一冊だ。
 
 文学はどうするのか?
 
 思い出した(というか今まで忘れているくらいに自分も自分の思いを「なかったことに」してきたのかもしれない)。ワタシは大学の文学部で教え「文学研究」という制度化された世界で「文学」のそばにいるが、あの震災のあと、喰うことや住むことにも困る人がたくさんいるなか、世界に何も影響を与えない「文学研究」なんてなんの意味があるのか?ないじゃん、無駄だ、ってしばらく思っていた。今も思っている部分はある。
 
 でも、木村さんのような「声」を聞き、それを必要としている人にすこしでも届けるパイプになれたら、きっと意味はあるのだと思う。

2018年4月10日火曜日

芦屋さくらファンラン

一昨日の日曜日、毎年恒例芦屋さくらファンラン&ゼミのお花見。

昨年度は学科主任と学会事務局でとにかく雑用ばかりの毎日で、走る暇ないわ体重増えるわで、今回はハーフでも歩いてしまう予感ぷんぷんであった。最初の3キロくらいのペースはキロ6分くらいで「ああ、もう速くは走れない体やな」と思ったが、
7キロくらいからはキロ5分30から40くらいで安定、なんとか最後まで歩かずに完走できた。

タイム2時間1分はこれまでのレース歴でセカンドワーストではあるが、もっと遅い予想だったし、頑張れた方だ。最後1キロをスパートできればこの1分を切れたかもしれんが、できないのが今のワタシ。

レース後はゼミ生、同僚、院生、OBと色々揃って飲み会。

今年も楽しい春の日でした。


2018年4月2日月曜日

BGU Review 2018

2015年秋にシカゴ大であったEtgar Keretについての学会Keret's Happy Campers: Etgar Keret and the Fate of Israeli Culture in the World Todayでの発表が活字になった。Ben Gurion Universityのジャーナル。発表までふた月しかなくて書けないストレスで帯状疱疹を発症したのも今は思い出。
中身はともかく、自分が書いたもので初めて国外で活字になるのがアメリカではなくイスラエルだというのが、とてもいい気がする。まだはじまったばかりのケレット批評に参加できたというのも(くどいけど、中身はともかく)嬉しい。


リンクはこちら
http://in.bgu.ac.il/en/heksherim/Pages/bgur2018.aspx

2018年3月25日日曜日

芦屋市立美術博物館 「1日だけの展覧会ー現代のとりくみ」


芦屋市立美術博物館での「1日だけの展覧会ー現代のとりくみ」を見に行く。

ポスターの芦屋の浜で相撲を取る少年たち、タイトルの「とりくみ」、ギャラリートークをする4人のコメントに散りばめられた「土俵」「ちゃんこ」といったタームから、これは髷を結って浴衣を着て行くべきではないか?と思う。

行ってみると思った以上に「相撲」推しの押し相撲であった。
入り口正面には土俵が作られていて、展示場では収蔵品の中から全く関係のない作品同士の「取り組み」が展開される。


それが凝ってて、拍子木を打ってからの呼び出し「ひがぁーしー、〇〇〇〇、にぃーしー、△△△△」で始まり、2つの作品の間には軍配が置かれ、福永信氏をはじめとする4人のトークが始まる。作品に添えられた解説もみな相撲にかけたもの。で、最後に勝敗が決せられ「只今の決まり手はー」と紹介される。なんじゃこの謎の相撲づくしは?

しかしこれがめっちゃおもろいのは、まずぼくらは普段アート見るとき、1作品だけと対峙するけど、こうして「取り組み」になると2つの無関係な作品を並べることによってそこに共通点を探すようになり、普段とは違う見方で作品を読もうとするということ。「取り組み」のお陰でコンテクストができるのだ。
そこで一見ふざけたトークが、一見全く共通点のないモーターじかけの現代アートと打出焼きの壺を並べて「これは実は両方人の体に似てて、こっちは背中で、こっちは胸ですね」なんて言うもんで、そう言われるとたしかにそんな気がしてくる。作品1つなら思いもしなかった見方だ。

また、取り組みが作品の優劣を競うものではなく、なんだかよくわからない基準で勝ち負けが決まっていくのも良かった。だって優劣なんてつけられないもの。

あと面白かったのは対戦が終わると次の「取り組み」のために作品がその場で移動されること。普段は閉館時間の夜中にやっているであろう作業を見ることができる。

あー変な展覧会だった。ここまで相撲にこだわるからには、ぜひ「巡業」に出て全国の美術館で「取り組み」を展開していただきたい。

2018年2月26日月曜日

エトガル・ケレットさん来日延期のお知らせ(※2019年10月に延期)と大阪ノンジャンル翻訳読書会



エトガル・ケレットさんとシーラ・ゲフェンさんを2018年11月に甲南大学にお招きする計画がありましたが、ご本人の都合により延期することとなりました。楽しみにしていてくださった方々にはお詫び申し上げます。

この夏に予定されていたフランスでのテレビ番組撮影のスケジュール変更によるものです。きっと面白い番組になることと思いますし、日本でも見れたらいいなと思います。

招聘の時期は翌年以降になると思いますが、招聘計画は引き続き練っていきますので、楽しみにお待ちいただければ幸いです。

※2018年3月16日追記。
延期になりますが、2019年10月に来日の予定です。

世界的な重要作家です。スケジュール変更なんて当たり前。日本に来て欲しいけれど、それよりも、面白いストーリーをどんどん生み出してもらう方がありがたい。

先週、大阪ノンジャンル翻訳読書会でケレットさんと『あの素晴らしき七年』についてお話させていただきました。日本の読者の皆さんの様々な意見、感想を聞けて楽しかったです。参加してくださった皆さん、主催者の方々、ありがとうございました。

ちなみに私が着ているTシャツは、1週間前に戻ってきたばかりのイスラエルで買った、超正統派ユダヤ教徒版ピカチュウ、その名もPikaJewであります。

画像に含まれている可能性があるもの:14人、、スマイル、立ってる(複数の人)、室内