2014年11月29日土曜日

44

44である。また一段おっさんの階段をのぼった。

ゼミ生が祝福してくれました。教室行くと真っ暗なので不審に思いつつ入ってみるとクラッカー、パン!パン!なのでした。

 みんな揃ってピース
 ネームプレートまでついてます!

お祝いのケーキをみんなでいただき、しぶいマグカップももらっちゃいました。

毎年ホントいい学生に恵まれています。

 注目の的となる44歳
 おいしいケーキ、ありがとう


今年は優秀な卒論がたくさん出そうで楽しみです。

はっ! 自分の論文もがんばらないと・・・


2014年11月7日金曜日

『早稲田文学』冬号 エトガル・ケレット短編&エッセイ

 今日発売の『早稲田文学』冬号でイスラエルの作家エトガル・ケレットの作品を訳しました。
 ケレットの最初の短編「パイプ」、その短編を書いた顛末を描くエッセイ「ある作家の肖像」、兵役のある国イスラエルでの子育てについての「公園の遊び場での対決」、そしてこの夏ガザ侵攻にともなって高まったイスラエル国内の排他的愛国主義に対する勇気ある反論「イスラエルにある別の戦争」の4編です。
 ぼくは彼の書く突飛で笑える超短編小説が好きですが、彼の国イスラエルには決して笑えない現実があるのも事実で、この4編は現代世界文学最重要作家の一人であるケレットのそういったふたつの面が読み取れる構成になっています。ぜひ読んで欲しいです!
 尊敬する同業者、藤井光さんの紹介、選、訳のGaza Writes Backと対になって、ガザとイスラエル双方の声が聞こえるのもこの企画のいいところ。特集自体はさらに広く「危機にあらがう声」というタイトルです。
 
判型が大きくなったので文芸誌のコーナーにはないかもしれません。他の文芸誌よりちょっと大きいです。
 
 ケレットが兵役中に書いた短編「パイプ」が、この物語を必要とする日本の多くの読者に届きますように。今いるそこが居場所じゃなくっても、ぼくらはみんな「パイプ」を見つけることは出来るのかもしれない。バミューダ・トライアングルに行ったりしてね。

2014年10月28日火曜日

第4回大阪マラソン

 やはりマラソンを走り続けるためにはそれなりの距離をそれなりの頻度で走ることが必要なのだが、ここ最近はなんとなく忙しいのかモチベーションが低下しているのか、まったく走っていないわけではないけどそこまでがんばって距離を踏んでいるわけでもない状況。がんばって走っていた3年前は、夏のあいだに距離を稼ぎ、少しでもいい記録を残すために多少の減量もしていたものであるが、今年は夏もあまり走らず体重も増加するに任せたまま。春に応募したレースのなかこの大阪だけは当たったが、なんとなく気合が入らず、レース一週間前になっても「あれ?週末なんか用事あったっけ?」って感じなのであった。
  とはいえいきなりのレースは怖いので9月に30キロのレースに出て、10日前には途中歩きつつ30キロランを一本。強行ながらなんとか体を慣らす。
 前日土曜が京都まで行く用事があったため、金曜に受付に行く。行って初めて思い出したが、インテックスは遠い。そして受付のあとのエキスポでは暑い中長い距離を歩かされる。金曜に行って正解。
 
 朝5時起床。おにぎり2個、パン、ジュース。6時半出発。これまたいつも忘れてしまうのだが、週末のこの時間はまだバスが走っていない。あちゃーと思いつつ駅まで15分ほど歩く。時間を読み間違えて、8時終了の手荷物受付に間に合わないかも?と焦るが、環状線乗ったらまだまだランナーたくさんいてホッとする。
 早速ちゃちゃっと着替えて荷物預け。このあとがまた問題で、すっかり忘れていたが、大阪はスタートまで30分ほどの距離を歩かされるのであった。この足をレースに温存できれば、とみな思っていることであろう。経口補水液を飲みつつぶらぶら。そしてスタートブロックに入る前のトイレの長蛇の列。一目見てあきらめる。スタートしてから入ったほうが早い。
 スタートはCブロック。けっこう前だ。しかし、今年のワタシは記録狙えるかんじではないので、もっと後ろでもよかった、なんて言うと贅沢か。

 9時スタート。スタートまで3分ほどか。走り始めてすぐにふくらはぎに張りを感じる。足が重く、全身がだるい。体が「いやだ、走りたくない」と言っているかのようだ。「まあワタシも走りたいんだか走りたくないんだかわからないんだけどねえ」と思いつつ出発。1キロで早速トイレに。
 今回は自分の走力が記録を狙える状態ではないとわかっている。制限時間は7時間なので完走できないことはないだろうが、先月の30Kで15キロで歩いてしまったので、とりあえず目標は「できるだけ遠くまで歩かずに行く」ことに。キロ6分くらいで走る。まわりのランナーにどんどん抜かれるに任す。キロ6分でも遅い気がしないのはやはり練習不足で走るスピードが落ちているのだろうか。
 しばらく体は重いまま。どこまで行けるもんかわからんなー、心配心配、ってかんじで10キロ。12キロの折り返しすぎからやっと体が軽くなる。「しゃあないなあ、がんばったろか、ちょっとだけやでぇ」と体くんが起きてくれた感。
 ここからはわりと快調で気がつくと20キロ。10キロで食べ忘れてた井村屋スポーツようかん投入。この前の30Kレースのときより長く走れた、と思ったらホッとする。最悪このあとずっと歩いてもええか、あとは行けるとこまで行こう。沿道の応援が温かく「ありがとー」と言いながら時にハイタッチなどして進んでいく。
 快調快調。30キロも到達。この時点で3時間ちょい。
 けっこういけるなあ。30キロまでいけるとは思ってなかったなあ、次は35キロが目標、と思っていたら32キロ地点の給食で止まってアイスキュウリやらおいなりさんやらパイナップルやら食べてたら、あ、足痛い。あ、走れん。ここで歩いてしまう。
 この日は10月末だというのに気温が高く日差しも強く、給水に毎回寄りそのたびにゴクゴク飲んでいたがそれでも足らんくらいで、熱中症なのか気がつけば周りのランナーで倒れている人がたくさんいた。正面から日差しを受けながら歩いてはちょっと駆け、また歩く。
 35キロ地点で個人エイドでコーラを出してくれていた人がいたのだが、このコーラがうまかった!給水は水かアクエリアスだったのだが、アクエリアスばっかり飲んでもういやになっていたところにコカコーラ。甘くてシュワッとして、こんなうまいコーラははじめてだ!
 で、コーラ飲んだら元気になって、小さなストライドながらまた走り始める。橋のところでは応援の方がいっぱいいて、上りでも気にならない。このあたりから、普段の潰れたレースよりけっこう粘れた気がする。
 4時間30分のペースランナーにも抜かれたが、グロスで40分切ることを目標に走る。しんどくて止まりたいけど止まらない。
 粘って無事ゴール。結局グロスで4時間39分、ネットで36分であった。

 ゴール後またアクエリアスが配られるが、もうイヤ、こんなん飲みたくない、売店に直行して「コーラ、一番冷えてるのちょうだい!」。よく冷えたコーラはやはりうまかった。

 水分ばかりとって胃が弱ったのか食欲がまったくない。鶴橋行って焼肉でも食おうと思っていたのだが、やめて帰る。うちで晩飯食べて9時に寝た。

 大阪マラソンは応援が楽しい。励みになる。このレース、ニックネームのゼッケンをつけることができて、そうすると沿道の人がニックネームで呼んで応援してくれる。これ、いいなあと思った。次当たったらぜひやってみたい。

 4時間36分はこれまでのレースと比べても決していいタイムではないのだけれど、今回のレースは自分なりにかなり頑張れた感がある。今の体力、走力なりにうまく走れた。オッサンにはマラソン以外にも仕事とか生活とかいろいろあるので、常にベストパフォーマンスを狙える状態にあるわけではない。それでもそのときどきの力に応じてがんばる、これもマラソンの楽しみかもしれない。

 とはいえ、レース終わったらまたちょっと欲が出てきた。走りこんで自己ベストを目指すか?けど、神戸も福知山も奈良も姫路もダメだったのでレースの予定がない。とりあえずがんばって篠山にエントリーしよう。

2014年10月11日土曜日

甲南英文学会設立30周年記念特別講演会

11月1日(土)に甲南大学甲友会館にて特別講演会を開催します。
講師は慶應義塾大学法学部教授の大和田俊之先生。『アメリカ音楽史』でサントリー学芸賞を受賞された俊英です!
演題は「音楽の「黒さ」とは何か-ジャズ、ヒップホップ、そしてアメリカ音楽と人種」で、アメリカに文化に関心のある方にも音楽全般に興味のある方にも楽しめるお話です!講演にあわせてジャズ・セッションもあります。
入場無料、時間は15時から、どなたでも参加可能ですので、近隣の方、関心のある方、ぜひご参加ください!また、お知り合いで関心のありそうな方にもおすすめいただければ助かります。
とくに秋元ゼミ卒業生、英文科卒業生、甲南大学卒業生の方!ぜひご参加ください。

詳細は下のポスターをポチッと、または 学会HP http://www.konan-u.ac.jp/hp/els/Flier20141010.pdf をご参照ください。


2014年9月15日月曜日

第1回 ベジタブルでワンダフルRUN♪

 走ってない。この夏は涼しくて走りやすかったはずなのだが、雨が続いたりアレルギーで咳が止まらなくなったりNY行ったりして走れてない。この2ヶ月で10回くらいしか走ってないし、最長はたぶん12キロくらい。しかし10月には大阪マラソン。PB更新とかは無理としても、今からでもそれなりに調整して出たい。
 おそらくシーズンはじめの調整用に企画されたのだろうこの30Kに参加。会場はノエビアスタジアムの1k周回。もう神戸住んで長いけど地下鉄海岸線ってはじめて乗った。受付後にごま油と野菜2点がもらえる。きゅうりが品切れでなすとオクラをもらう。
 12時スタート。はやめにお昼を食べておくつもりだったのを忘れてた。ま、なんとかなるっしょ。
 5分50くらいで走り始める。ペース配分とかそういうのではなく自然にこのペースに。3日前に14時間のエコノミークラスの旅でだるだるになった足は今日もだるだる。体は前面にけっこう揺れる部分が。今年も夏に太ったなあ。
 1キロくらいからもうやめたくなる。天気いいし餃子でも食べてビール飲むってのはどうか?とか思うがさすがにそれやると大阪も走れないだろうと我慢。とりあえずは5キロを目標に。今回は10キロごとに食料、5キロごとに黒糖ひとかけ投入の予定。
 なんとか10キロまで行って「井村屋スポーツようかん」投入。

 んんんまい!ようかんってなんてうまいんだ!やる気スイッチオン。

 15キロまで行って、もうだめ。歩く。ふくらはぎがしんどい。足の裏もしんどい。やっぱり走ってないとダメやね。夏の間にきちんと調整したランナーとは違うわな。
 ここからは歩いて走っての繰り返し。これ42キロだったらおそろしいことになるんやろなあ。

 その後元気が出ることもなくゴール。3時間41分。3年前のフルマラソンのPBと同じタイムである。つまり、同じ時間で3年前は42キロを走れたが今は30キロしか走れないってことで、このペースでフルだったら確実に5時間超えてるわけで。
 ま、ここで一回30K走っておいて、あとは週2か3でちょこちょこ走ってもう一回くらい30K走っておけば、シーズン終わりくらいには割と快適に走れるんじゃないの?という目論見である。
 でもこのレースは4時間制限だったので、もうちょいで撤収であったから危ない危ない。

 ゴール後参加賞のもずくてんぷらをビールとともにいただく。もう一点カップサラダもあったのだが、のどからっからでサラダってのも食べにくいなあと思いやめる。

 帰りはまた地下鉄。南京町で老祥記のぶたまんをおみやげに買って帰る。また太るか。


 今日のポイント
・もっと練習しましょう。走った距離は嘘をつきません。
・多少スピード練習とかもしたほうがいいんじゃないのか?遅いもの。
・夏の間に太りすぎ。毎年のことだから学ぼう。
・井村屋スポーツようかんはめちゃくちゃうまい!
 

2014年6月2日月曜日

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』

 60年代NYを舞台に売れないフォークシンガーの旅を描く。

 ルーウィンは「ダメ」な男だけれど、それを断罪するわけでも肯定するわけでもない視点が心地よい。ルーウィンは一発逆転もしないし破滅もしない。でも生きてる。

 シカゴへの自動車での旅、真っ暗で視界の先に何も見えないフリーウェイ、どごんどごん、どごんどごんと道路の継ぎ目が規則正しく伝えるあの眠気を誘うリズム、分岐したフリーウェイの出口の先には闇の中に突然現れる明かりのかたまり。ラスベガスかと見まごうばかりに輝くそのかたまりも、下りてみればほんの小さな町の明かりである。あたりになにもないから輝いて見えただけ。スモール・タウンってこういうのだよなあ。

 それにしても、猫が一匹そこにいるだけで映画にはこれほどに動きができるものなのだな。ギターを片手に抱えたヒゲ面のルーウィンはもともとあんまりクールな感じじゃないが、その空いた手にネコを抱えるだけでなんとも可笑しい絵が出来上がる。抱えられたネコは両手を前方に突き出してこれまた可笑しいのだが、これはネコが意図してやっているわけではなく、胸を抱えられた状態では肉体の構造上こうならざるをえない。でも、この絵だけでやられる。こいつ絶対悪いやつじゃないなって思っちゃう。

 『ハリーとトント』のトント、近所の丸山公園でよく遊んでくれたキーロという名の(っていうかワタシが勝手に名づけた)黄色ネコを筆頭に、フィクションでも現実でも「黄色いネコは人がよい」というのはわがやの定説なのだが(そういえばこの映画も『ハリーとトント』もロードムービーだ)、この映画の黄色ネコユリシーズくんもご多分にもれず人がよい。カウチで居候しているルーウィンを起こしに来る場面は微笑ましく、ルーウィンとNYの地下鉄に乗ってダウンタウンへと向かう車窓に夢中になっている様子にはネコ特有の抜群の集中力が見られ、車両内で飛び出した時には見てるこっちは心配でたまらない。

 実際にはユリシーズくんだけでなく同じ見た目の黄色いネコが3回出てきて、それぞれ別のネコなのだが、別でなくても一緒でもどっちでもいい。ルーウィンはユリシーズを見失ったあと幸運にも彼を路上で発見したが、実際にはそれは別のメス猫だと判明する。扶養責任のない野良ネコなのだから、本当は旅に同行させる必要はない。でも連れて行く。そしてシカゴへの旅の途中、置き去りにする。そして帰路で同じような見た目の黄色いネコを轢いてしまう。だが、NYに戻ると、飼い主のもとに自力で戻って来たユリシーズくんと再会することになる。3匹の別々の、しかしながらみな黄色いネコが、ルーウィンの旅につねに顔を出す。

  人のよい黄色いネコはきっとずっとルーウィンと一緒にいたのだ。それぞれ別々の個体だとしてもだ。轢かれようが迷子になろうがまた現れる。

 ネコには9つの命があるというではないか。
 
 人のよい黄色いネコに守られたルーウィンもまた、9つの命を持つのかもしれない。だからルーウィンもまだ生きていく。

2014年2月17日月曜日

第21回泉州国際市民マラソン

 今シーズン2回目ではやくも最後のフルマラソン。
 それなりに20キロとか走っているので脚もできてると思うのだが、2月に入ってからは寒さと忙しさでものすごい肩・首のコリ、それが高じて緊張性頭痛まで引き起こし、整形外科、マッサージ、温泉と渡り歩いたので、あまり万全ではない。2月ってホントに寒くてイヤ。事前に30キロランをするつもりだったのも雪でできんかったし。
 
 朝6時20分起床。おにぎり3つ、オレンジジュースにヨーグルト、おはぎ1個。三宮まで出て阪神でなんばへ、そこからは南海電車で浜寺公園へ。
 やはり当日受け付けはいい。大阪とか奈良の時は前日に受け付け行くのがしんどかったもんな。

 今回は今シーズン最後なので4時間切っておきたいところなのだが、あまり自信がないのである。寒い時期のランニングで一番しんどいのは、ワタシの場合汗っかきなもんで寒かろうがすぐ発汗するのだが、しんどくなって歩いたり止まったりするとその汗が急速に冷えてさむーくなり体が冷えてしまうってしまうことである。飛ばしてバテて歩くことになったらいやだなー、ってことで、欲張らず4時間を目途に、最初キロ6分で数キロ行って、そこから5分40くらいでイーブンペースで行ければいいか、というプラン。ゆっくりでもとにかく止まらず走り続けるのが目標。

 10時30分スタート。
 スタート直後はダンゴになってなかなか進まないレースが多いのだが、このレースはそんなことなくてスタート直後からサクサク走れる。それでみんな速くて、気が付くとキロ5分とかになっているので自重する。そういえば記録が出やすいので勝負レースにする人が多いと聞いたような。スタートでしゃべった人も「3時間30は切りたいですねえ」と言っていた。うー、うらやましい。

 なかなか快調にのんびり走り最初の折り返し。折り返したあとはひたすらまっすぐである。幹線道路を封鎖して直線コースを作っているので走りやすい。けっこう天気が良くてあったかい。

 25キロを越えたあたりからなんだかしんどくなってくる。はやいなー。30キロまでは踏み続けると決める。

 30キロ到着。もうダメ。歩く。背筋が痛いのと、太もも、ふくらはぎが乳酸が出まくってコチコチなかんじ。道端でストレッチして伸ばしてみたりするもあまり効かず。この時点でちょうど3時間ほど。こっからが長かった。

 歩いてはちょっと走っての繰り返し。走りたいけど足がしんどい。だんだん風が冷たくなってきて体が冷えてくる。折り返して巨大な陸橋を渡るのだがそこがのぼりになっていて、これ見たとたん萎える。また歩く。歩いてるから全然進まない。

 陸橋の先まで行って折り返し37キロ。来たときとは逆に陸橋をまたのぼり、くだるのだが、今度は猛烈な向かい風。しかも風が冷たい。うーん、レース前に避けたいと思っていた事態が、いままさに起きているな。辛え。

 あとはもうただひたすら耐えて忍んで歩くのみ。最後1キロはがんばって走るぞー!と駆け出すも400メートルほどしかもたん。

 結果4時間42分。んあー。
 それでもやはりゴールすると嬉しいのがマラソンのいいところ。

 もうしんどいしおなかも空いていないので着替えてすぐ電車に乗って帰る。

 
 もうちょっと走れると思っていたのだがそうでもないということが判明。結局は42キロ走るだけの脚力がないのだな。ではどうすればその脚力がつくのかというと、これは普段から40キロとか走るしかないのではないか、という気がしてくる。

 思い起こしてみれば今までのレースでも後半歩いたことはなかなか多く、シーズン最初のレースはたいてい歩いているような気がする。逆に歩かずにうまくいったレースは、そのシーズンにすでに何回かフルを走ったあとのレースだ。2年前は神戸、大阪で歩いて、奈良でサブ4、篠山で自己ベストだった。だから、レースで42キロ走ったり(歩いたり?)するのが練習になって、それを何回か繰り返してようやく脚ができると、そういう仕組みではないか?

 でも普段の練習で40キロ走るのはなかなか大変。やはりレースを練習にして、こういう辛い思いを繰り返すしかないのであろうか。ああ。

 

2014年2月11日火曜日

『新潮』3月号



『新潮』3月号でエトガル・ケレットの「父の足あと」というエッセイを訳しました。ケレットについてはこちら


短編集『突然、ノックの音が』も母袋夏生さんの訳で、近日中に新潮社から出版の予定。こちらもたのしみ。間違いなくおもしろいです。


2014年1月31日金曜日

Paul Auster, Report from the Interior

 人間、時間が経てば年を取る。若いうちはそれは「成長」である。昨日届かなかった木の枝に手が届くようになる。できなかった逆上がりができるようになる。嬉しい。しかし成長はいつか止まる。それでも時間は流れるのであって、そこからは、かつてはできていたことができなくなっていく。老いである。

 「成長」とは麻薬だ。心地いい。人間、自分が成長していると信じられているうちは幸福でいられる。「経済成長」という神話にしてもそうだ。成長は決して常態ではないはずなのに、ぼくらは成長が当たり前で、それがなくなることは大変なことだと思っている。右肩上がりでないといけないと思っている。そんなことは不可能なのに。

 「成長」という麻薬が切れた時、人間はそれまでとは異なった心の構えを必要とするのだと思うし、それをうまく受け止めることが「成熟」なのだろう。

 たとえば数十年前に書いた自分の文章を読んで、その稚拙さに驚くというのは「成長」したからこそであろうが、と同時に、そこにあるむきだしの熱意を目の当たりにしてたじろぐようなこともあるだろう。それはもはや自分には書けないものだ。かつての「私」は今の「私」と地続きであるという意味では「私」であるけれど、もはや同じものが書けない「今の私」がその「かつての私」を同じく「私」と呼ぶには距離がありすぎる。しかし、「彼」ではない。第三者として三人称に切り離してしまうには愛おしすぎる存在。共に生きてきた同志のような存在。だからこそ「きみ」なのではないか。


 Paul Auster の自伝的エッセイ Report from the Interior では、前作 Winter Journal に続いて二人称"you"の語りが取られる。Winter Journal は「身体」の来歴の物語であったのに対してこちらは「心」の来歴である。

 全体は4部で構成され、そのすべてが徹底して自身の過去を扱ったものだ。第一セクションのエッセイ部分"Report from the Interior"は幼少期からの様々な思考をたどったもの。第2セクション"Two Blows to the Head"は、それぞれ10歳、14歳の頃に見てガツンと来た二本の映画(『縮みゆく人間』と『仮面の米国』)の語り直しである。第3セクション"Time Capsule"は、コロンビア大学の学生だった頃に、当時の恋人で前妻のLydia Davisにあてて送った手紙の抜粋で、最後のセクションはこれらの内容に関連した写真を収めた"Album"である。

 "Time Capsule"のきっかけは、Austerと同じように(Austerの原稿はNYPLのBerg Collectionに収められている)自分の原稿を図書館アーカイブに収めようとしたDavisからの、昔の手紙が出てきたのだけどどうしたらいいか? という連絡だったという。20歳そこそこの自分が書いた手紙を読む60代半ばの男。手紙の中のAusterは、貧しく、フラストレーションを抱え、それでもものを書くという行為に一貫してひたむきである。きっと「きみ」の手によるこの手紙のような文章は、今のAusterには書けないものだし、だからこそそれを活字にしたのだろう。

 これまで『孤独の発明』や『その日暮らし』といった自伝的なエッセイをすでに発表してきているにも関わらず、本作の前身である Winter Journal (2012)が読みごたえがあったのは、それがある意味「父の話」だった『孤独の発明』と対をなす「母の話」であったことや、「身体」の変化、ひいては「老い」という問題を正面から見据えていたからではないかと思うが、Report form the Interior はそこまで徹底していないし、4つのセクションの構成には散漫な印象も受ける。

 たとえば映画の語り直しは『闇の中の男』や『サンセット・パーク』でもあったが、『幻影の書』での映画の語り直しのように、「ない」映画をあたかも「ある」かのように語るのと、本当に「ある」映画を語り直すのは意味合いが違うし、それが小説の中で主題的なものとして描かれているならば(たとえば『闇の中の男』での『東京物語』がそうだろう)語り直す意味もあろうが、本書でのようにむきだしで語り直されても、まず「映画は映画で見ればいいのではないか、なぜ批評ではなく語り直しなのか」と思ってしまうし、感じるのはAuster本人が、こうやって映画のプロットやカットを語るのが本当に好きなのだなあ、ということくらいである。

 とはいえ、その語り直しはやはりうまく、ときとして挟まれる解釈的なコメントも絶妙で、やはりAusterにしか書けないものだと思う。『仮面の米国』で主人公の危機の場面に反復されるハンバーガーを食べるという行為に着目したり、「なにか大きな仕事をしたい」と橋の設計・建設の道に進んだ主人公が、刑務所からの逃走場面で追っ手を遮るためにダイナマイトで「橋」を爆破することの皮肉を指摘してみせたり。

 オースターの初期小説『最後の物たちの国で』で、主人公のアンナが書く手紙の文字がどんどん小さくなっていくという描写がある。紙がなくなってきたので文字を小さくしていくのだ。現実的には小さい文字はいつか判読不能な黒点になる。しかし理論上は、文字を小さくし続ける限り、紙の余白は埋め尽くされることがない。このパラドクスの美しさが好きなのだが、本書でもオースターの実際の手紙で、紙がないから文字が小さくなっていくという箇所があるし、オースターが語り直している映画『縮みゆく人間』は、主人公が放射能と農薬の影響でどんどん小さくなっていって、最後には目に見えない微粒子となろうとも、それでも消滅はしないというメッセージを持っている。"To God there is no zero. I still exist!" と彼は叫ぶのだ。こういったのちの作品に表出した思想の起源みたいなものが読み取れるのがファンには面白いところである。

 同じように興味深いのが、自身のユダヤ人という人種的特性を発見するところ。オースターは戦後生まれだしアメリカ生まれだが、それでもナチスによる迫害の記憶は新しく、自分が自分であると言うだけで暴力的な他者から殺されかねなかったという歴史の発見は、衝撃だったに違いない。ユダヤ人のアウトサイダー性、homeにいてもそこを完全にhomeだとはみなせないという居場所の不確かさ、同じように居場所が不確かなアフリカ系やネイティブ・アメリカンへの共感、ひいてはすべての"outcast"たちへの共感、そういったものの起源を読み取ることも可能だろう。

 『孤独の発明』でわずかに触れられたエピソードでもあるが、小学校の頃「ユダ公」とからかわれたオースター少年は、学校でクリスマスのお祝いに出席してクリスマスキャロルを歌うのを拒み、ひとり教室に残る。その描写がいい。

机に向かって座ると、突然きみのまわりは静寂に包まれ、文字盤がローマ数字になっている古い時計の分針が時を刻むカチッという音が響く。きみはポーを、スティーブンソンを、コナン・ドイルを読んでいる。頑固にも自分の意見を主張し、それでも誇り高く、その頑固さに、自分では無い誰かであるふりをするのを拒んだその頑固さに誇りをもち、自ら宣言して追放者となったきみは。(73)

 ユダヤ人であるがゆえにどこにも十全たるhomeがないことを自覚した少年時代のオースターは、ひとり教室に残り、普段はクラスメイトたちで騒がしい教室が静まりかえったなか、たったひとりで座っている。しかしその傍らには書物がある。

 本の世界、たぶんそれこそが彼にとってのhomeとなった。outcastしかいないような場所。

 そして彼は作家になった。



2014年1月22日水曜日

ピンボールとドラッグレース

  昨年末に大瀧詠一が亡くなってから懐かしんで『A LONG VACATION』とか『EACH TIME』を久しぶりに聞いていて、「1969年のドラッグレース」って村上春樹の『1978年のピンボール』に似てるなとふと思った。タイトルが。さらに、この曲だけではなく「恋のナックルボール」とか「我が心のピンボール」とか、曲のタイトルで『1978年のピンボール』に似てるのが他にもあるなあ、と思ったんである。

 なんか直接的な影響関係があるのかないのかは知らない。ちなみに発表は「我が心のピンボール」収録の『A LONG VACATION』が81年、「1969年のドラッグレース」「恋のナックルボール」が収められた『EACH TIME』が84年、村上春樹の『1978年のピンボール』が一番早くて1980年である。なので、『1978年のピンボール』に影響を受けて大瀧詠一が(あるいは作詞をした松本隆が)こういうタイトルの曲を作ったという可能性はあるかもしれない。

 しかしそういう直接的な影響関係の有無より、あらためて認識したのは、かつて自分が両者に同じようなものを感じていた、という事実である。70年生まれのぼくは中学生の時に大瀧詠一を聞き、村上を読んだのはもっとあと、高校に入学してからだった。小説よりポップミュージックの方がお手軽だったから、読んだり聞いたりした時系列がぼくのなかでは発表年とは逆になっているのだが、中学生のときに聞いた大瀧詠一は、なんだかおしゃれでカラフルな感じがしたもんだ。その歌詞の世界では(詞は多くが松本隆によるものなのだが)だいたい若い男性と女性が出てきて、女性が「海が見たい」なんて言ってみたり、ドライブに行って女性に別れを告げた後に車が故障して気まずくなったり、あるいは男二人と女性の仲良し3人組でどっか泊まって、男同士はこの子に「手など出さない」と約束していたはずなのに「ぼく」じゃないほうがその女のことくっついちゃって悲しい、とかそういう、なんだかちょっとおしゃれな恋のエピソードが描かれていた。大人になったら女の子は「海が見たい」なんて言うのか、そういうものなのか、と思ったが、でも、自分のまわりのお兄さんお姉さんたちを見てもそんなかんじの人はいないし、暴走行為はあってもドラッグレースはないのであって、だからこれはいったいどこの世界の話なのか?と思ったのである。で、そのプラスチックな感じ、パステルカラーでつくりものなかんじは、のちに初期の村上作品を読んだ時に感じた印象と重なる。そしてそれはぼくのなかでは「幻想のアメリカ」になったのだと思う。

 昔『ユリイカ』の村上春樹特集で書かせてもらった時、初期村上春樹を高校生の頃に読んでその無機質でにおいのない世界に魅かれて、その世界をアメリカだと思った、ということを書いた。

 なんだか無機質でつるんとしていて、「僕」たちにはきっと、口臭も体臭もないのではないかと思った。それは現実のぼくの周りにあった小さな世界とは全く異質の世界で、景色も光も言葉もなにもかもが違っていた。泥臭くて汗臭い現実の生活とは対極にあるものだった。ぼくは自分の小さな世界の外側にあるこの「別の世界」にあこがれ、そしてその場所とは「アメリカ」なのだと思った。今思い返してみれば、だからこそ、アメリカ文学を読むようになったのではないかという気がするのだ。そして、もしそうだとしたら、ぼくがはじめて読んだ「アメリカ小説」は村上春樹だった、ということができるかもしれない。

『ユリイカ』2000年3月臨時増刊号 総特集 村上春樹を読む

 もちろん村上春樹はアメリカ作家ではないのだけれど、あれを読んでアメリカ的なものを感じた読者っていうのはぼくだけではなかったのではないかと思ったのである。

 村上自身は初期インタビューで、自分が小説などのアメリカ文化から吸収してつくった世界を「仮説としてのアメリカ」と呼んでいるのだが、そんな彼が作り出した作品を読んでアメリカを感じたぼくのような読者もいるわけで、これは世代的なものでもあると思うのだが、アメリカ文化に直接触れてそこに魅かれたのが村上の世代だとすれば、70年生まれのぼくのような世代は、その村上世代が翻訳再解釈再生産した「仮説としてのアメリカ」でアメリカに触れた世代ではないかと思う。そして、村上以外になににアメリカを感じたかといえば、大瀧詠一だった気がするのだ。

 加えてもうひとつ挙げるなら鈴木英人のイラストである。FM雑誌の表紙になったり(山下達郎のジャケットもあった)して、この人のイラストはものすごい流行った。あれがただのイラストではなく様々な色の紙を切り貼りしているのだと知ったのはほんの数年前のことだが、ということは同じ色の中にある陰影やグラデーションが排除されているわけで、そのうえ風や光や水しぶきが可視化された、加工されたアメリカがそこにあって、これまた「仮説としてのアメリカ」として、それを受容する者に幻想を生んだのだと思う。

 調べてみたら大瀧詠一と鈴木英人は48年生まれ、村上は49年だけど1月生まれなので、この3人、同学年である。


 そういう人たちが「幻想のアメリカ」をつくってくれていた。80年代ってそういう時代だった。
 

2014年1月14日火曜日

Etgar Keret(エトガル・ケレット)のこと


 最初にEtgar Keretの作品を読んだのはFlash Fiction Forward という超短編小説のアンソロジーでだった。この本は大学の講義で毎回一編ずつ読むアンソロジーとしてたいへん重宝したのだが、そこに収録された作品のなかのひとつだった。
 ”Crazy Glue”という作品で、だんなが浮気している奥さんが、なんでもくっつく接着剤を買ってくる。パッケージには天井から逆さにぶら下がった人間の写真が載っていて、だんなのほうは「こんな写真つくりものだよ。子供だまし」みたいなことを言うのだが、その日うちに帰ってみると奥さんの声は聞こえど姿が見えない。探してみるとなんと天井から逆さにぶら下がっている。「今降ろしてあげるから」とその唇にキスすると、キスした唇同士もくっついちゃった、というお話である。意味は分からない。でもなんかおかしい。接着剤のパッケージ、たしかにそんな写真あるな、とか思って「ハハハ、ヘンなの」と思った。笑える。




 次に読んだのはこれまた授業で、今度はゼミでもう少し長めの短編をグループワークで読ませたときのこと。なんかいい題材はないかとMcSweeney’s(アメリカの季刊文芸誌。毎回変わる装丁にもその冒険者精神は体現されている)のバックナンバーをペラペラめくっていると”Cheesus Christ”という短編が。読んでみると、チーズバーガーチェーンCheesus Christの女性店長がGMに「うちのお店ってメニューにチーズバーガーしかないから、普通のハンバーガーを食べたいお客様が『チーズ抜きのチーズバーガー』って頼まなきゃいけないんです、でもそれって問題だと思うんです」みたいな進言をしようとしている。Cheesus Christって!「チーズ抜きのチーズバーガー」って!ナンセンス。「ハハハ、ヘンなの」。また笑った。

 

 
 小説は、あるいは文学は、べつに笑わせるために存在するわけではない。がしかし、笑えるのが悪いわけでもない。いやむしろ、笑えるなら笑える方がいい。っていうか、小説読んで笑って思わず「ハハハ」と声が出ちゃった経験なんてあんまりないわけで、それがともにEtgar Keretという人の手によるものだったから、「これは呼ばれているな」と思ったんである。調べてみるとKeretはイスラエルの作家で、ヘブライ語で書き、ぼくが読んだのは英訳されたものだった。


 次にThe Bus Driver Who Wanted to be God を取り寄せた。「神になりたかったバスドライバー」というこのタイトルからして、いい。神とバスドライバーは全然別物、だけどバスドライバーはバスの世界では神みたいな存在だ。毎日通勤にバスを使い、走って追いかけたバスに無情にも置き去りにされる経験が多数あるからこそよくわかる。また、表紙カバーのイラストもいいんだ。




 読んだらやっぱりおもしろい。超短編が多いのだが、ちょっと変な設定ですっとぼけた感じ、まじめな顔してあほなことを言っているかんじ、そして、読者の期待をたえず外して意外な方向に持って行っちゃう。なんだけど「ハハハ、ヘンなの」のあとに、なんだか考えさせられてしまうのだ。


 たとえば”Hole in the Wall”では町なかの壁に開いた穴が出てくる。ATMが撤去された後の穴だという。主人公は、この穴に大声で願いを叫べばそれが叶う、と聞くのだが本気にしない。しないけど、好きな女の子が自分を好きになるようにとか願って、でもかなわない。友達がいなくてさみしいもんだから「天使の友達が欲しい」と願うとたしかに天使が出てくるのだが、あんまり友達じゃないし必要な時にはいつもいないのだ。読者は最初はこの穴の正体が気になるのだが、それは触れられることはなく天使の話になり、天使は友達になるのかと思いきや友達甲斐のない奴だとわかる。こういう話かな?という予測がポキポキと折られ、次々に裏切られていく。
 天使は背中に羽は生えているけど飛ぶことはない。主人公は「ちょっと飛んで見せてよ」と頼み、天使は断るのだが、冗談半分で5階からそっと押してみたら、天使はそのまま落ちて死んでしまう。最後に主人公は思う。「あいつは天使でさえなかった。ただの羽の生えたウソつきだ」。
 なんなんだこれは?
 短いのに、わからないまんまずっと腹に残る感じ。それがKeretの魅力だと思う。


 Keretの作品はメディアミックスでいろんな作家に取り上げられていて、たとえば”Kneller’s Happy Camper”は Pizzeria Kamikaze というグラフィックノベルになり、さらには Wristcutters という映画にもなっている。残念ながら日本ではDVDさえ出ていないが、トム・ウェイツも登場するけっこうよくできた映画である。「幸せになる方法」を明かした冊子がたったの9.99ドルで販売されている話は『$9.99』というクレイ・アニメに、映画『ジェリー・フィッシュ』はKeret自身の監督作である。

 
 ネットとケータイの時代になってニンゲンが隙間の時間でしかテクストを読まなくなりつつある昨今ゆえKeretの書くような超短編はそういうせっかちな今のニンゲンにはぴったりだとも言えよう。が、ただ、短いとはいっても簡単に消化できるようなものではないところがいいのだと思う。

 作家ジョージ・ソーンダースの次の言葉はそんなKeretの魅力をうまく伝えている。


エトガルの作品はだいたいが厳密にはリアリスティックではありませんが、それなのに究極的な意味でリアリスティックです。彼の作品はこう言っています。人生って本当はこんな感じがするんじゃない?これこそが本質的にはぼくらが直面している問題じゃないの?そして、それを越えて、僕に言わせれば芸術がなしうる最高の行為をしてくれます。それは、人に慰めを与える、ということです。エトガーの小説はこう言うんです。親愛なる人間よ、うん、まああんたは今困った状況に陥っているけれど、そこにはまっているのはあんただけじゃないよ。俺もそこから出られずにいるんだ。ここはひとつ、俺たちが陥っているこの困った状況について数分間じっくり考えてみようじゃないの。好奇心とユーモアとやさしさを持って。そうしてお互いじっくり考えれば、俺たちにはよく理解できないやりかたで、物事はどんどんどんどん良くなっていくさ。


 短い小説の中でじっくり考えてみること。逆説的だけど、この短いお話たちひとつひとつに圧倒的な不可解が、そして小説の豊かさが詰まっている。世界30か国以上で紹介されているEtgar Keret が日本語で読めないままではもったいない。