2013年12月16日月曜日

加古川みなもロード マラソンチャレンジ

 10月のアップルマラソン後、足底筋膜炎も回復し、それなりに週2,3回程度走っているのだが、レースは落選ばかりで2月まで予定がない。ということで加古川みなもロードマラソンチャレンジというのに参加。10キロ、2時間、3時間、4時間の部門があって。4時間走に参加。距離ではなく、4時間でどれだけ走れるか、というコースである。4時間で42キロ走れればサブ4なんで、それくらいを目標に出走。
 朝7時起床。おにぎり2個、バームクーヘン、野菜ジュース、ポカリ。
 加古川は神戸から新快速で30分と大変近く便利。駅から会場まではバス。たまたまタイミングよく乗れたが1時間に一本なので、乗り遅れると大変かも。
 寒いかと思ったらお日様が出てけっこう暖かい。パワーバー一本。最近こういうパワーバーとかレース中のジェルとかおなかにもたれるようになってきたなあ。
 10:30スタート。最初10キロをキロ6分、あとはキロ5:30の予定。走り出すと体が重い。先日読んだマラソンの本で、走り出しは体が重いくらいがよい、と書いてあったのを思い出し、これは逆に快調の徴か?と思ったのだがどこまでいっても重い。スピードを上げる気にならない。最近の普段のランニングペースはキロ5:30とか5:00だったのだが、ずいぶんゆっくりになってしまった。ずっとこのペースのまま3時間まで行って30キロ、そこを越えたら太ももが痛くなって歩いてしまう。のこり1時間は歩いたり走ったり。結局38キロしか走れなかった。
 うーん。ガス欠ではないし、足が保たなくなったかんじ。もっと距離踏まないとダメかなあ。まあ、これがその練習でもあるのでいっか。20キロ以上の練習はなかなか普段出来ないし。
 コースは加古川沿いのフラットで走りやすい遊歩道、1キロ行って戻るという2キロの周回なので飽きるかと思ったけど、そうでもなかった。むしろ目標が掴みやすい。
 スタッフの皆さん、丁寧な運営ありがとうございました。

 レース後、宝湯というすこぶるレトロな銭湯があるというので歩いて探しに行くも、開店は4時との表示で、まだ開いてなかった。残念。加古川の町はけっこういいかんじ。新しい住宅が多く、綺麗。駅の方は古い家屋が並ぶが、こちらはこちらで細い路地が入り組んでいて懐かしい感じの趣。
いいかんじの公園。色使いが昭和。

いいかんじの路地。未知の世界への入り口。
そんな一角で加古川名物カツめしをいただく。ご飯にビフカツのっけてデミグラスソースをかけたもの。ランニング後の腹には重かった。カツもソースもどっちも「焦げ味」で苦みはあるけどうまみは薄い、そんな印象。



2013年11月29日金曜日

43

43がやってきた。
ここんところどんどん加速していて、ふと気づくとあっちゅう間に一つ歳をとってる感じもする。気をつけねば。人生速いぞ。


今年も可愛い可愛いゼミ生たちがお祝いしてくれました。
ありがとうございます。


このケーキに・・・


口から火を噴き着火!(ウソ)
 

今年もいい学生に恵まれてます

喜ぶオッサン

ローのままベタ踏み。なかなか進まず燃費も悪いが本人だけはしゃかりき。43歳もそんなかんじでしょうか。

2013年11月12日火曜日

「まいど。おおきに。ただいま」

 マッカートニーさんの来日第一声は「おっす!」だったらしいが、昨日大阪のライブの第一声は「まいど。おおきに。ただいま」であった。ここだけでな く、カンペを見ながらとはいえたくさん日本語で話し、サービス精神旺盛、さすがプロである。そして71歳のマッカートニーさん、非常にチャーミングでもある。一曲ごとに「サンキュー」と繰り返し、おどけたしぐさをしてみせる。

 セットリストにもサービス精神は表れていて、一曲目のEight Days a Weekから始まってたぶん半分以上がビートルズナンバー。We Can Work It OutにAll My LovingにLady Madonnaにオ・ブラディ・オ・ブラダ、Day Tripper, Paperback Writer, Golden Slumbers。Mr. KiteとかLovely Ritaなど渋めの曲も。最新アルバム『New』からはタイトルチューンのNewのほかSave Us, Everybody Out There, Queenie Eyeの4曲。Back In the U.S.S.R. やHelter Skelter, Get Backなどのロックチューンもかっこよかったし、Band on the Runもよかった。

  でもちょっと鳥肌もんだったのはドームいっぱいの観客相手にアコギ一本でBlack Bird歌ったとき。あの巨大な空間を埋め尽くした何万人にギター一本で対峙する姿は崇高であった。この曲が公民権運動さなかのアフリカ系アメリカ人に力を与えるべく書かれたものだとマッカートニーさんは言っていたが、寡聞にして知 らなかった。言われてみればそのとおりの歌詞である。

 とにかく楽しい時間であった。ほとんどの歌を知っていて、なんとなくでも歌える。マッカートニーさんのライブでもあるのだが、むしろ個人的には「マッカートニーさんと歌おう会」であった。ずっと歌ってて声がらがらになった。しかしマッカートニーさんと一緒にLet It BeとかHey Judeを歌ってるなんて、なんと贅沢な。高校生の頃に口ずさんだ歌を今本人と同じ空間で歌っている!そんなことを途中何度か冷静になって考えて、これはものすごいことだ!と思ったら涙が出た。

  マッカートニーさんは、もしかしたら今地球上に存在する人の中でもっとも有名であったり、もっとも尊敬されている人かもしれない。その人と同じ空間にいれたってのは、やっぱり嬉しい。

 日本は昨日から寒くなったので、風邪が心配。福岡、東京と無事に完走していただきたい。

 チケット発売に申し込む際に奥さんから「ジョンとポールどっちが好き?」と聞かれて「そりゃ断然ジョンでしょ」と答えた。奥さんはポール派である。チケッ トが当たって「ポールのライブがさぁ」と言ったところ、奥さん「あなたはジョン派やからポールって呼び捨てにせずマッカートニーさんって呼び」とたしなめられた。そのため本文中の表記は「マッカートニーさん」にしているが、ライブ中は「ポール!」と叫んでいたのは言うまでもない。

 ずっと「ポール派」の奥さん、感動してふにゃふにゃになっている。行って良かった。

 

2013年10月8日火曜日

第11回弘前・白神アップルマラソン

 盆や正月はなかなか帰省できないので墓参りを兼ねてのアップルマラソン参戦。

 9月頭に足底筋膜炎になって以来ずっと足裏の痛みが続き3週間走れずにいたもんで、リタイアせずに無事走れるか心配。足の裏の痛みはだいぶ治まったが、走ってるうちにまた痛くなるかもしれんし、走るの禁止だったからふだんフルの前には必ず2回くらいやる30キロランもできないまま。この一ヶ月で走った最長距離は12キロである。でも、飛行機も取っちゃってるし、もはや走るしかないんである。

 土曜の朝、アトム氏を妻に託して出発。空路は順調。着陸直前ふと隣の席のおじさんの腕時計が目に留まる。オレンジ色のボタン。これはランニングウォッチ?足元を見るとアシックスのニューヨーク。間違いない。話しかけてみる。やはりランナーであった。しかし話し込んでみると「ランニングはマラソンまで?」と聞かれるので「?」と思いながら聞いてみると、この東さんというお方、68歳のウルトラマラソンランナーであった。しかも、一般的にウルトラって100キロだと思っていたが、東さんは最長320キロのウルトラを完走したこともあるという。うひゃー。フルの8倍。想像もつかん。弘前にお孫さんがいるってので参戦しているそうだ。こうやって県外から人が来てくれるのはいいことだ。

 空港まで迎えに来てくれた母と姉と合流し、中華そば食べて、弟一家も一緒に墓参りへ。第一目的完了。実家で晩飯。甥っ子二人に乗りかかられつぶされる。1年前よりだいぶ重くなったな。

 レース当日、朝起きてごはん2杯に工藤パンの「イギリストースト」。なつかしの。昔よく食べた。甘いんだ。でもうまい。

 会場に着き、FBで再会した高校の同級生が主催する弘前公園RCにご挨拶。お三方と再会。高校卒業以来である。このチーム、おそろいのピンクのTシャツなので目立つ。すごい人数。

 パワーバー一本食べてさらにジェルを一個。先日Whole Foodsで買ってきたvegaというのを食べたのだが、これがチョーまずい。味噌みたいな味である。気持ち悪くなる。その影響かレース用に仕込んだジェル3本は結局ひとつも食べなかった。

 このレースのいいところは受付が7時からでスタートが9時で、そんなに早く集まらなくてもいいってことだ。

 一番後ろから9時スタート。
 
 足裏が心配なのでゆっくりキロ6:30ペースで入る。問題なければ5キロくらいからキロ6:00、5:30くらいまであげれば4時間くらい。そんなによくなければイーブンペースでファンラン。どうしても痛くて我慢できなくなったらリタイア。そんなレースプランであった。
 走り出してみると足裏は痛くないのだが体が重い。6:30だと普段はかなり抑えたペースなのだが、どうもいっぱいいっぱいなかんじ。これはもうゆっくりファンランだと思い直して、沿道で応援してくれるおばあちゃんらに「ありがとー」と手を振り走っていく。ほっかむりをしたおばあちゃんが並んでいる光景はなかなかかいらしい。
 5キロくらいから足裏が鈍く痛む。なんかぶんにょりとした痛み。うーん、考えない考えない、と気にしないよう心がける。
 なかなか10キロに着かない。長い。いつになく長い。なんかいやだなー。
 10キロ超えて、そういえば中学の同級生和也くんが折り返し付近でコース整備スタッフをしているというのを思い出し、再会をを楽しみにがんばる。が、そう思ってすぐ、16キロくらいのところで発見。喜びの再会。しかし折り返しまであと4キロもある。ので、今度は折り返してまたここに戻るまではがんばろうと新たな誓い。
 無事折り返して、そのあたりはまだ気合いが入っていたのだが、また和也くん地点まで戻ってしばらく行って30キロを越えた頃、もうペースもなんもなくて、GPS見てみるとキロ7:30とかである。足の裏は痛いし、走り込んでいないせいか太もももぱんぱん、乳酸が出まくって体が固まってる感じ。肩も背中も痛い。しばらく歩いてしまう。
 序盤飛ばしすぎて足がなくなって潰れて歩いたことは最近でもあるが、このスピードでしんどくなって歩いたのはたぶん初めてのフルの時以来だ。でも痛いんだからしょうがない。エイドで水をごくごく飲み、歩いたり走ったり。このあたりはもう死屍累々で、歩いてる人がいっぱい。
 ただ、歩いてると当然ながらゴールが遅くなる。タイム云々ではなく、もうはやくこの苦行から解放されたいのに、はやく解放されるためにははやく走らねばならず、ゆっくり歩いていてはいつまでも解放されぬというジレンマ。ああ、つらい。
 しかししばらく歩いたらちょっと楽になってきて遅いながらも走り出す。キロ7分くらい。たぶん体が硬くなっちゃって歩幅も狭く運足もゆっくりになっているのだろうが、もうこれ以上はムリなのである。それでもそのペースで最後5キロくらいは歩かずに走れた。
 ゴール1キロ手前くらいで姉が沿道で応援してくれ、最後400メートルくらいでは用事を済ませて駆けつけた弟も応援してくれてパワーアップ。なんとかゴールにたどり着きました。

 こんなしんどいレースはなかった。タイムはなんと4時間56分。今までの自己ベストが3時間41分で、「次はサブ3.5を目指そう!」なんて思っていたのに、人生12回目のフルマラソンでなんとセカンド・ワーストである。あとで帰宅して調べたら、2009年にはじめて参加して死ぬほどしんどくて歩きまくった最初のフルマラソンよりもさらに10分遅い。なんてこった。

わかったこと。

・練習してなくてもフルマラソンはなんとか完走できる。
・でも、そのぶんモーレツにしんどい。
・ゆっくり走るファンランは、走力のある人がゆっくり走るからファンなのであり、走力のない人がゆっくり走るのはただの「遅くて過酷なマラソン」である。
・1シーズン休んだら、ワタシの走力はふりだしに戻ってました。

 次のレースは11月の福知山の予定であったが、これが先日の台風の被害で中止になった。しばらく休んで足裏を治してから、ちゃんと距離を踏んで足を作り直そう。2月の泉州国際と3月の篠山では自己ベストを狙いたいけど、間に合わなければがっつり走るのは来シーズンでもしゃあないな。

 ゴールでリンゴをもらってかぶりつきながら、ステージで川内選手を迎えた抽選会を見る。ふだんのレースでは人数が多いのでこういうイベントはあまり見ずにとっとと着替えて帰るのだが、今回は人数も少ないしゆっくり見れました。シューズが壊れたのでシューズあたんねえかなぁと思っていたけど当たらず。

愛着のあったNike SpeedLite。破れてもうダメ。
 荷物預かり所にボランティアで来ていた母から原チャリを借りて桜ヶ丘温泉へ。小学生の頃、ここの近くに住んでいて、何回か来た記憶があったのだ。ノスタルジックな旅である。何度か改装もしているのだろうが、やはり古くさい銭湯で、でも温泉の硫黄の香りが心地よく、高い天井を見て「ああ、こんなかんじだったような気がする」。

 うちに戻って着替えて高校の友人たちとの会食へ。実家に帰っていつも困るのは足がないことである。もう自転車もないし、母一人の実家には車がないし、あっても車だと飲めない。原チャリもしかり。タクシーか、と思っていたところに友人から電話。車でむかえに来てくれると。おお、ありがたい。そういえば大学生の頃帰省した際、飲んで原付で2ケツしておまわりさんに叱られたことがあったっけ。大人なのでもうそういうことはしないのだ。

 5人でメシ。みなさん立派になった。同じ時を過ごした仲間が25年たっても集まれるってのはほんとありがたい。昔のアホな話、同級生の消息、今の仕事のこと、家庭のこと。自分の中の座標軸はここにあんのかなあなんて思った。

 2次会は3人でちょっとだけ飲み、翌日普通に仕事がある2人に気を遣ったというよりは、自分の体のしんどさと眠気のためはやめにお開きにしてもらう。

 翌日には中三で味噌ラーメン食って、りんごとりんご酢おみやげに買って大阪へ。

岩木山の頭と下が雲の中。
飛行機ついたら夕方5時半なのに29度!夏かっ!

2013年8月14日水曜日

『風立ちぬ』

 これは詩だと思った。

 主人公二郎の人生には震災が起き、結婚があり、妻の病があり、戦争があり、そして死がある。エンジニアとしての夢を追うことと妻との生活、どちらを選ぶべきか。飛行機へ傾けた情熱は美しいがそれは戦争の道具ともなった。幸福なのかそうじゃないのか。そういった対立にこの作品は一切答えを出さない。人生の転機となるような出来事のそのたびに葛藤がなかったはずがない二郎のその心理を極力描かないことで、生きることのありさまをむき出しに提示している。どうするのが正解なのかはわからない。ここにはわかりやすい教訓やメッセージはない。しかし「生きる」というのはそういうことではないか。「生きる」ことじたいがそうであるように、この物語の膨大な空白は見た者がそれぞれに埋めればよいのだろう。 

2013年8月4日日曜日

『失踪者たちの画家』

 ポール・ラファージ著『失踪者たちの画家』(柴田元幸訳)を読む。

 「幻想的」とはこういうのを言うのだろうか。全体的にぼわーっとしてて細部がよくわからない。いつ・どこの話なのかもよくわからない。
  ジェームズとフランクという二人組の男性が出てきて3人姉妹と出会う。ジェームズはその一人と駆け落ちしてしまう。フランクのお金を持って。となると読者 の興味からいって、普通このジェームスの行方をたどるお話になりそうなものだが、そうはならない。フランクはお金がなくなったことを気にしないし、ジェー ムズは気づいたら戻ってきている。
 フランクはプルーデンスという女性を好きになり、彼女の写真撮影について行く。しかしプルーデンスはいなくなってしまう。失踪者となってしまうのだ。フランクは彼女を探すが、これも見つけることはない。フランクはなぜか逮捕されたり、裁判で自分を告訴してみたりする。
 物語の展開が常に予測を裏切って脱臼していくような印象。不思議な小説だ。

  プルーデンスは死体の写真を撮り、警察に報告する。その写真は「死」があったことの証拠となる。フランクは絵を描くが、絵で死体を描いてみたところでそれ は証拠にはならない。だから写真でできることが絵ではできない。その一方で、フランクは失踪者たちの絵を描く。探している人から聞いた情報をもとに人を描 く。いないいひとを描くのだ。これは写真には出来ない。

 というように、「あること」「ないこと」、「あることがないこと」「ないことがあること」のお話ではないかと思った。

 There is nothing.

と 言った時に、そこには「なにもない」のか、はたまた「なにもない」状態が「ある」のか?このブログのタイトルもそうだ。On the road to nowhere は「どこにも行かない」のか「どこでもない場所」に「行く」のか?そういう「不在」が「存在」することをめぐるお話ではなかろうか。

 プルーデンスの写真は「存在する(ある)」死体を写す。しかし死体はモノとしては存在しても命が「ない」。フランクは「いない」人々を描く。しかし彼らはここにいないだけであって、どこかには「存在する(ある)」。事態は複雑だ。

そもそもの小説という技法じたい、「ない」ものを「ある」かのように書くものだということを思い出した。

2013年7月9日火曜日

『あまちゃん』と方言



 毎日『あまちゃん』が楽しみでたまらない。楽しみついでに、そろそろ重大なところに差し掛かってきたのではないかと思う。毎日面白くて目が離せないストーリーはもちろん素晴らしいのだが、「どうなるのかな?」と近頃気になっているのがアキちゃんの北三陸弁問題である。

 このお話は、東京から母の故郷岩手県は北三陸に引っ越した高校生のアキちゃんが、夏ばっぱをはじめとする地元の人とふれあい、海女になって、自分の殻を破るというものだった。東京では暗かったアキも、北三陸では北三陸弁を「じぇじぇ!」としゃべり、種市先輩に「おらとデートしてけろ」と告白し積極的になっていく。その能年玲奈演じるアキちゃんの様子がまあぁぁぁ可愛くてたまらないのではあるが、現在放送中の東京編では、アイドルを目指して上京、ご当地アイドル集団GMT48の一員として下積み中で、北三陸からは離れ、それでも訛りを武器にまわりの人々をほんわかさせていく。

 ただ、GMTのなかに入ったときに際立ってしまうのが、忘れがちではあるが、実はアキは北三陸のネイティヴではないという事実である。ほかのご当地アイドルたちは地元で育った各地の生粋のネイティヴだが、アキはもともと東京で生まれ育ち、高校生になってからほんの1年程度北三陸に住んだだけなのだ。ところどころにその事実をわれわれに思い起こさせてくれるセリフも登場する。「おらの訛りは自己流だからな」。先日アキが言ったセリフである。北三陸編ではみんなが地元の人だったので「そこに溶け込むアキ」ということで目立たなかったのだが、舞台を東京に移し、GMTのメンバー、つまりは本物の地方代表に囲まれたとき、どうしてもアキのアイデンティティのことを考えずにはいられない。そしてたぶんその事実は物語のどこかで解決しなければいけない問題のような気がするのだ。

 北三陸編ではアキのまわりの高校生はユイちゃんと種市先輩くらいしか描かれず、違和感を出さずに済んだが、もし彼女と同級生の地元の高校生がいたならどう感じるであろうか。きっとアキは東京から来たくせに真似して方言をしゃべってちやほやされてる嫌な奴だ。海女として注目されるのはその特殊技能ゆえ理解できるが、この東京から来た子が地元の代表としてご当地アイドルになるというのは、地元で生まれ育った子にしてみれば違和感ありまくりだろう。地方はそんなに優しくない。東京にはない海や山がいっぱいあって素敵、なだけではすまない感情がそこにはあって、よそ者には冷たい、東京弁をしゃべれば気取っていると言われ、地元の言葉を話せばにせものとからかわれる、そういう厳しい排外的な姿勢が現実の地方にはある。そういう現実のネイティヴィズムをあえて描かないことであまちゃんのファンタジーは成り立っている。

 もちろんそんなネイティヴィズムは偏狭である。ないほうがいいに決まっている。でも現実には、ある。地方の人々にとって方言とはアイデンティティであり、だからこそそれを簡単にまねされるのは不愉快である。中央に対して周縁と見なされてきた自分たちの成り立ちそのものさえ、再び搾取されてしまうような危機感を感じるからだ。

 アキちゃんは東京でも訛る。しかしそれはある意味コスプレでしかない。東北人を演じているに過ぎない。なぜなら彼女はその言葉しか話せないわけではないからだ。仙台の小野寺ちゃんは仙台弁しかしゃべれない。それとアキちゃんは決定的に違う。

 言葉というのは一方的に発信するものではなく人との間で行き来するものだから、実はアキちゃんが東京でも訛っているというのは相当おかしい事態である。東北の人は東京に行くと訛りを消して標準語を話そうとする。恥ずかしいというのもあるが、そもそもそうするのは「通じない」からだ。通じないと言葉が役に立たない。だから相手の言葉に合わせる。逆に言うなら相手の言葉が話せるにもかかわらず、そして相手が自分の言葉を話せないにもかかわらず自分の言葉で押し通す、というのはコミュニケーションの拒否である。地方にはたまに、東京から帰ってきて以来標準語、みたいな人がいて「変なやつ」と思われるが、それは共通の言語があるにもかかわらず他者の言語を用いているからで、その行為が放つメタメッセージは「俺、お前らと違うよ」である。だから嫌われる。

 標準語と方言には階層があって方言が勿論下位に来るので気づきにくいが、実はアキちゃんがやっているのも同じことである。彼女は標準語が話せる。むしろ彼女のnative tongueである。それなのに共通の言語を持つ人との間で、「あえて」違う言語を話してみせているのだ。これはけっこうたいへんな事態で、彼女はある意味東京の人たちとのコミュニケーションを拒否していることになる。

 それで、物語の今後がどうなるかと予想するなら、やはりアキちゃんは標準語をしゃべらなければならないだろう。遠洋漁業に旅立ったじっちゃんが言い、そして東京へ旅立つアキが繰り返してみせたように、このお話のテーマは、「ここが一番だということを地元のみんなに教えてあげるために外に行く」、生まれ育った場所が一番だ、ということになるのだと思う。だとするならば、アキちゃんは自分が生まれ育った場所である東京と向き合う必要があるだろう。昔のダサかった自分と向き合わなければならない。そして自分の言葉を取り戻さなければならない。取り戻したうえで新たなアイデンティティを北三陸で見つけるのではなかろうか。

 だから同じように自分のnative tongueを受け入れていない他の人物たちも最後にはそうなるのだと思う。母親の春子もユイちゃんも最後には北三陸弁を高らかに話すはずである。

 二人が北三陸弁を高らかに話すそのときに、アキちゃんは三人で思いっきり訛ればいいと思う。

2013年6月16日日曜日

『華麗なるギャツビー』

 映画『華麗なるギャツビー』を見てきた。バズ・ラーマンの映画は色彩、ダンス、音楽がどぎつくアクが強いので、変な映画になってんじゃないかと思っていたが、そんなでもない。いいとこも悪いとこもあるってかんじ。

 原作と違うところがいろいろあって、まず大きいところでは語り手のニックの「その後」が書かれていること。今や療養施設に入所していて、そのメンタルな不調の治療のために、「書くこと」を医者から勧められ、そして書き起こしたのがこの物語である、と設定されているのだが、「ん?これ『ライ麦畑』と間違えたの?」と思った。ニックはホールデン?

 結末もニックがギャツビーの物語を書き終えて「Gatsby」とつけたタイトルの上にThe Greatというのを書き足し、そのGreatという形容は、ニックによるものだということになっている。ギャツビーがGreatだとすれば、それはやはりニックの視点から見てだろうから、ここはおもしろいと思った。ただ、字幕の訳が、そして映画のタイトルが「華麗なる」ギャツビーとなっているのだが、ギャツビーに共感し、その一夏を回顧するニックがギャツビーに付与するGreatという形容が「華麗なる」なのはちょっと違和感。たぶんここでのニックは、思い返して「ギャツビー、あんたやっぱりすげえ人だったよ」という感じであり、「あんた華麗だったよ」とは思わないんではないか。

 ギャツビーとトムの対決するプラザホテルの場面で、トムはギャツビーの素性を暴いた上に「俺たちは生まれからして違う」と階級意識をむき出しにするが、これは原作にはない点。さらにそれを聞いてギャツビーが激高して殴りかからんとするのも原作にはない。ただ、この場面を含めて、この映画のギャツビーは感情豊かで、デイジーとの再会場面での緊張してドギマギしている感じは多少コミカルだけど、小説ではニックの語りでしかわからないので冷静な印象のギャツビーも、本当はこうなのかもしれないなあ、時計も落としてたしなあ、と納得。そしてこういうちょっと愛嬌のあるギャツビー役にディカプリオははまっていると思った。

 ウィルソンに殺される場面で、デイジーから電話があったことを匂わせる演出、トムがデイジーから真実を聞いていたと思わせる場面、葬式の場面や後日ニックがトムやデイジーと再会する場面がないことなどはこの映画ならではの解釈。ギャツビーの過去は、死後父親の話から知ることになるはずが、この映画では生前にニックに直接話している。「ずっと誰かに話したかった」みたいなセリフもあったな。ギャツビーという別の自分を作り出して過去の自分をすてた原作の強いジェイ・ギャッツに、人間的な弱さを読み込んだということか。

 小説もロバート・レッドフォード主演の映画版も、プラザホテルの場面をはじめとして、汗がにじんでくるような暑さが印象深かったのだが、バズ・ラーマンの人工的な映像はなんだかクリーンすぎて全編空調完備、暑さが抜けた感じだった。マートルに与えたアパートでのパーティも本来もっとゲスい感じなはず。犬だって犬売りから買った雑種なのに小ぎれいなミニチュアシュナウザーだし。トムがマートルを殴る場面のスローモーションはコントみたい。ギャツビーはデイジーから「広告みたい」と言われるが、バズ・ラーマンの映像によってこの映画じたいも綺麗なパッケージの広告、あるいは「商品」みたいになってる感じがした。「灰の谷」の汗みどろの労働者たちでさえなんだかモデルみたい。
 
 一番よかったのはデイジー。この女優さんがかわいいので、ギャツビーががんばったのも理解できる気がする。

 ギャツビーがニックにhydroplaneに乗らないかと誘う場面が原作にもあるのだが、このhydroplane、モーターボートと水上飛行機の2つの意味があって、どちらなのかわからずにいる。翻訳でも両方あったと思う。この映画の字幕は「水上飛行機」。でも、映像は出ない。20年代に自家用水上飛行機なんてあったのかなあ。そもそも操縦できないと意味ないし。でも従軍経験あるからギャツビーは操縦できるのかも。と、結論は出ないままである。

 20年代の風俗はあまり感じられず。チャールストンを踊っても音楽は現代風だし、服装も現代風。やっぱり「広告」っぽいな。ま、最近では映画じたいがなんかの広告となっているのは珍しくもないのではあるが。ティファニーとかプラダの広告か。

 

2013年5月29日水曜日

『朗読劇 銀河鉄道の夜』

  舞台の上には翻訳家が立っていた。どう見てもオーバーサイズのシャツに半ズボンをはいて。

  翻訳家は大学教員でもある。大学教員は舞台に立つ必要はないし、翻訳家も舞台に立つ必要はない。そもそも大学教員が翻訳をする必要も、翻訳家が大学教員をする必要もない。でも、「する必要がある」ことしかしない人生なんてなんとつまらないことか。「余計なことはしすぎるほどいい」(草野正宗「運命の人」)のだ。それを翻訳家は身をもって示してくれていた。

  ぼくらの日常には「はいはいそれでいいっすよ」が蔓延している。「する必要がある」ルーティーンに対して、できるだけコミットせず労力を費やさない方法。でも、この舞台の裏には「はいはいそれでいいっすよ」はなかったのだと推測する。「ああしようよこうしようよ、こうしたらもっと良くなるって、もっとおもしろくなるって!」だったのだと思う。だって翻訳家だけじゃなくて詩人も小説家も歌手もみな、もともと舞台に立つ必要はなかったのだから。それがわざわざ舞台に上がった。熱を生まないわけがない。

  宮澤賢治のイタコとなった古川日出男は鬼気迫る様子で賢治として語り、その作品をサンプリングしていく。そして「ハレルヤ」を「ハルレヤ」と書いたことの意味へと物語は向かう。

  簡単には消化できないなにかを受け取った。ことばにできないのがもどかしい。「わかった」わけじゃない。むしろわからないままだ。でも受け取ったものは大きくて、きっとそれは「胸いっぱい」ってことなのだと思う。

  最後のあいさつで半ズボン姿の大きな少年は感極まり、虚勢を張るかのようにあごを上げ、大股の急ぎ足で舞台そでに引っ込んだ。ぼくもちょっと涙が出た。

2013年5月19日日曜日

『現代作家ガイド1 ポール・オースター』増補改訂版

96年に出た『現代作家ガイド1 ポール・オースター』、2000年以来の増補改訂版、出来ました。21世紀に入ってからの作品の紹介の他にも、インタビューや序文など盛りだくさん。ちょっと分厚くなりました。よろしくおねがいします。 (Amazonは、コチラへ)

2013年5月13日月曜日

リチャード・パワーズ『幸福の遺伝子』


 
 人間なんのために生きているのかはわからないが、日々いろいろがんばったり工夫したりしているのはこれすべて「今日も機嫌よくいる」ためである。いいことがあれば機嫌がよい。仕事で成功すれば機嫌がよい。おいしいものを食べると機嫌がよい。逆にいやなことがあったり、失敗したりすると機嫌よくはいられない。悲しい、落ち込む、不安になる。そういった機嫌の程度が普段から高い人もいれば低い人もいるし、高低の幅が大きい人もいれば小さい人もいる。ぼくらはその一人一人の感情的性質の違いを普段は「性格」によるものだとしている。
 ところが、たとえばうつ病治療にSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)という薬物を使うように、脳神経内の分泌物を外側から操作することによっても感情というものは変えられる。プロザックというSSRIが前向きになれるハッピードラッグとしてアメリカで爆発的に売れた話は記憶に新しい。化学物質の投与で気分がよくなるなら、究極的には、うまいことセロトニンとかドーパミンとか脳で調整して常に「機嫌よく」いればいい。今やそういうことがある程度可能な時代である。
 しかしそもそもの「性格」じたいが「機嫌がよい」設定であればそれに越したことはない。リチャード・パワーズの『幸福の遺伝子』の主人公タッサはそういう人である。性格の初期設定が「すこぶる機嫌がよい」なのだ。アルジェリアの内戦で両親を失いアメリカに移民としてやってきた不幸な過去を持つにもかかわらず、タッサはまわりのどんなアメリカ人よりもハッピーである。その「機嫌のよさ」はまわりの人々にも感化力を発揮していく。大学の作文クラスで彼女を教える教師ラッセルは、その彼女の「機嫌のよさ」を訝しみ、その原因をドラッグや軽躁病ではないかと疑うが、そうではなく「感情高揚性気質(ハイパーサイミア)」だと結論付ける。そんななかタッサが巻き込まれたレイプ未遂事件のニュースが広まり、彼女の存在がゲノム学者カートンの知るところとなる。カートンがタッサの調査から発見したのは、彼女の「機嫌のよさ」は遺伝子によるものだということだった。ならば遺伝子を調節すれば人はみなタッサのように常に機嫌よくいられるし、そもそもその「幸福の遺伝子」を手に入れれば、生まれてくる子供は常にハッピーである。しかしその遺伝子は極めてまれなのだ。こうしてタッサは自分の遺伝子をめぐる、ネットを中心とするメディアによって加速された全国的熱狂に巻き込まれていく。

 相変わらずリチャード・パワーズはものすごく、とてつもなく、頭がよくて、遺伝子科学をはじめとしたその知識量にほれぼれするし、その知識を小説に組み込んでいく緻密な構成の見事さに感服させられる。いつもパワーズを読んで思うのは、文系/理系っていう枠組みはほんとに頭のいい人の世界では無意味だよなーってことである。ぼくらはみな「機嫌よく」いたい。日々機嫌よくいることに必死である。それが遺伝子操作でなんとかなるものならそうしていけない理由はあるのか?科学と倫理の問題。現代社会が突きつけられている課題である。しかしパワーズはそれを単純な二項対立にして「科学vs倫理」みたいな昔のSFみたいな話にはしない。テクノロジーは、文学と同じくぼくら人間が頭の中からこの世へと作り出した「表現」であり、パワーズはその両者がともに存在しているこの世界のありよう自体を描いて見せる。
  「幸福の遺伝子」をめぐる狂騒を追いながらぼくら読者は「幸福ってなに?」という根源的な問いに立ち返らざるを得ない。幸福が脳の働きに過ぎないなら幸福しか感じない脳を作ればいい、遺伝子でそんな脳を作れるなら遺伝子を書き換えればいい。でもそのときに感じる「幸福」は、いまぼくらが慣れ親しんだ「幸福」とは違った定義を必要とし、ぼくらの生きる意味さえ変えてしまうだろう。でも、それが可能になりつつなる社会で考えなければならないのは、それを単に「自然に反している」と言って攻撃することではなく、そうやって変わっていく世界での人間のあり方についてなのだと思う。
  「幸福の遺伝子」が希少なものであることについては、「進化がそれを嫌った」のだと作品内でも書かれていて、その意味を考えることも大事だと思う。ぼくらが日々感じる落ち込みや恐怖、不安、そんな感情を抱える「機嫌がよい」状態ではないぼくらは淘汰の結果残された適者なのだろうか。しかし適者でいることと快適でいることのどちらが個体としてのぼくらにとって大事なのか。

 この小説では一人称の「私」を名乗る語り手がところどころに顔を出す。作中登場人物ではない語り手が「私」として語るのは、訳者あとがきにも触れられているようにメタフィクション的な仕掛けであり、たいていはその作品じたいを書いている作者が小説の枠組みを越境して「私」として登場する。しかし、この作品の「私」は作者ではないのではないか、と最初思った。ラッセルの読んでいる本を覗き込み、「盗み見がばれたと思い、目を逸らす」「私」は、物語上の現実と同じ次元に属しているように読めるからだ。ならばこの「私」は誰なのか?訳者は「その正体が何者かを推理するのは難しくない」と書いているが、白状するとぼくには最後までよくわからなかった。最初は「作者」パワーズだと思い、でも、この人が物語内現実と同じ現実に属していることを知ってからは「遺伝子」が語っているのかと思った。しかし遺伝子は「彼女に窓の日除けを上げさせ」(118)ることはできても「大きなジャンプカット」をすることはできない。ならばこの「私」は神かとも思った。ところがそれでは「私の国では30分に一冊、新しいフィクションが出版される」(140)の説明がつかない。神に国籍はないだろう。
 物語の結末部分でいろいろなものが「消える」。そして「私が現われる」。その状況は「物語以外の場所では二度と起こりえない」と描写される。タッサは「私が考え出した友人」と描写される。ならばやはりこの「私」は書き手であるパワーズなのか?いや、むしろ「物語の神」なのか?
 まだ答えが出ないままなのだが、こういうメタフィクション的な仕掛けが有効なのも、この物語が人間のありようといういわば神が綴った「物語」についてのものだからだ。そしてその物語の内側には無数の小説という物語がある。それを綴るのは作者というその世界を統べる「神」である。その物語のひとつである本作の中で主人公(?)のタッサが好むのはカメラのファインダーをのぞき込み現実を切り取ること、すなわちそこに「物語」を生み出すことなのである。

 今回もやはりパワーズはすごかった。「頭と心の両方にアピールする」小説だった。その「頭」の部分はパワーズその人の膨大な知識によるものだけれども、当然その翻訳者も匹敵する「頭」がないと到底翻訳はできないわけで、それをこのような形で日本の読者に届けてくれた訳者の「頭」にも感謝である。だって脳神経科学の用語だけでもそうとう大変ですよ。

 遺伝子学者カートンとノーベル賞受賞作家が客前で討論会をする場面があって、ここは「物語」の力を考えるうえでもとても印象的な場面なのだが、その討論会の決め台詞としてカートンはこんなセリフを用意する。

もしも未来にいらっしゃるご予定でないお客様がいらっしゃいましたら、お急ぎ、当機からお降りになることをお勧めいたします。

でも、未来へ向かう飛行機からは、ぼくらは誰も降りられない。だから乗りながら、飛びながら考えなきゃいけないし、だからパワーズを読まなきゃならない。

2013年4月16日火曜日

芦屋国際ファンラン

 1年ぶりのレース。例年は桜が綺麗だが今年は1週間ほど遅くて桜はほとんどない。それでもレースとともにピクニックを楽しむ大勢の人。同僚Kのゼミにならって今年はうちのゼミもピクニック。事前に声をかけたときに4人のレース参加希望者が出たが、申し込みが間に合わなかった。残念。最近のランニング人気はものすごくて、ぐずぐずしているとすぐに定員オーバーで締め切りになってしまうのであった。来年に期待である。
 肝心のレース(ハーフ)は、久しぶりだし完走できればよいと思っていたが、1時間55分とかなりのんびりしたタイム。遅いのはまだしも15キロくらいでけっこうしんどくなって、このままではとてもフルは保たないと思った。体重減らさないといかん。
 レース後は楽しいピクニック。天気も良くビールがうまい。こういう機会を楽しもうという気持ちのあるゼミ生が集ってくれてよかった。ゼミ代もうまく仕切ってくれて安心である。お隣のKゼミ生も入り乱れてなかなか楽しく酔っぱらった。

2013年1月23日水曜日

you've got mail.

 昔そういうタイトルの映画があって、トム・ハンクスとメグ・ライアンが主演で、メールが来ると人の声で"You've Got Mail!"って音が出て、あれはメーラーがアウトルックとかじゃなくてAOLってプロバイダの独自のやつで、そういえば当時うちもAOLで、あのころは 電話回線のダイアルアップ接続だったからその都度電話の回線外して、ピーガガガガガ、ピコーンガコーーン、・・・You've got mail!だったなあ。そしてあの映画はマンハッタンの小さな本屋がバーンズ&ノーブルと思しき巨大チェーン書店に駆逐される話であった。
 それがたった十数年で、いまや駆逐されつつあるのは巨大チェーン書店のほうで、駆逐しているのは当時はまだなかった(んじゃないかと思う)ネット書店の amazonである。現実に二大チェーンの一方の雄Bordersは潰れちゃったし、バーンズ&ノーブルも苦戦してるに違いない。
 でもB&Nがなくなったらアメリカ人、本買う場所なくなっちゃう。どうするか?amazonがあるからいい、にはならないだろう。kindleに 行くのももともと本を読む習慣のある人だけだ。そうじゃない人はどうなるか。本など読まなくなる。本屋がなくなれば本というものがあることさえ気づかなく なる。
 そしてきっとそうなった時一番困るのはamazonである。ネット通販会社ってのは多くの路面他店をショーケースとすることで儲けてきたわけで、そのショーケースがなくなったら人々の欲望も生まれなくなる。だからamazonには自前の路面本屋を作って欲しい。
 ジャングルがなくなる前にジャングルを作るというか、Amazonだけに。

2013年1月16日水曜日

Kindle Paperwhite

 アマゾン発の電子ブックリーダーkindle paperwhiteを昨日入手。
  これは便利。

 ・いつでも同期してくれるから、どの端末で開いても前に読み終わったところから読み始められる。オフィスでパソコンで読んで、電車の中でスマホで続きを、うちに帰ってipadで読んで、寝る前にベッドでKindleで、なんてこともできる。
 ・辞書がワンタッチ。単語を押すだけで辞書を引いてくれる。それも簡易版じゃなくてプログレッシブ英和中が入っているので、たいていはまかなえる。
 ・本を買うのがラク。読みたいものがすぐ入手できてその場で読める。

  結局本を読むのは「本」というモノではなくコンテンツを読んでいるのであって、それを容れる媒体が本であろうがKindleであろうが、コンテンツを読めればいいわけで、本の物質的な制限から解放される利点が多いなら電子ブックでもいい。いまんとこKindleは欠点よりそういう利点が多いような印象。

  もうひとつ大事なこと。この端末はいろんなことができないのがいい。ipadでも本は読めるが、ipadはなんでもできてしまう。なんでもできてしまうと、本を読むよりラクで楽しいことが気になっちゃってうっかりメール見たりネットサーフィンして本のことは忘れてしまう。Kindleは本しか読めない。そこがいい。