2014年1月22日水曜日

ピンボールとドラッグレース

  昨年末に大瀧詠一が亡くなってから懐かしんで『A LONG VACATION』とか『EACH TIME』を久しぶりに聞いていて、「1969年のドラッグレース」って村上春樹の『1978年のピンボール』に似てるなとふと思った。タイトルが。さらに、この曲だけではなく「恋のナックルボール」とか「我が心のピンボール」とか、曲のタイトルで『1978年のピンボール』に似てるのが他にもあるなあ、と思ったんである。

 なんか直接的な影響関係があるのかないのかは知らない。ちなみに発表は「我が心のピンボール」収録の『A LONG VACATION』が81年、「1969年のドラッグレース」「恋のナックルボール」が収められた『EACH TIME』が84年、村上春樹の『1978年のピンボール』が一番早くて1980年である。なので、『1978年のピンボール』に影響を受けて大瀧詠一が(あるいは作詞をした松本隆が)こういうタイトルの曲を作ったという可能性はあるかもしれない。

 しかしそういう直接的な影響関係の有無より、あらためて認識したのは、かつて自分が両者に同じようなものを感じていた、という事実である。70年生まれのぼくは中学生の時に大瀧詠一を聞き、村上を読んだのはもっとあと、高校に入学してからだった。小説よりポップミュージックの方がお手軽だったから、読んだり聞いたりした時系列がぼくのなかでは発表年とは逆になっているのだが、中学生のときに聞いた大瀧詠一は、なんだかおしゃれでカラフルな感じがしたもんだ。その歌詞の世界では(詞は多くが松本隆によるものなのだが)だいたい若い男性と女性が出てきて、女性が「海が見たい」なんて言ってみたり、ドライブに行って女性に別れを告げた後に車が故障して気まずくなったり、あるいは男二人と女性の仲良し3人組でどっか泊まって、男同士はこの子に「手など出さない」と約束していたはずなのに「ぼく」じゃないほうがその女のことくっついちゃって悲しい、とかそういう、なんだかちょっとおしゃれな恋のエピソードが描かれていた。大人になったら女の子は「海が見たい」なんて言うのか、そういうものなのか、と思ったが、でも、自分のまわりのお兄さんお姉さんたちを見てもそんなかんじの人はいないし、暴走行為はあってもドラッグレースはないのであって、だからこれはいったいどこの世界の話なのか?と思ったのである。で、そのプラスチックな感じ、パステルカラーでつくりものなかんじは、のちに初期の村上作品を読んだ時に感じた印象と重なる。そしてそれはぼくのなかでは「幻想のアメリカ」になったのだと思う。

 昔『ユリイカ』の村上春樹特集で書かせてもらった時、初期村上春樹を高校生の頃に読んでその無機質でにおいのない世界に魅かれて、その世界をアメリカだと思った、ということを書いた。

 なんだか無機質でつるんとしていて、「僕」たちにはきっと、口臭も体臭もないのではないかと思った。それは現実のぼくの周りにあった小さな世界とは全く異質の世界で、景色も光も言葉もなにもかもが違っていた。泥臭くて汗臭い現実の生活とは対極にあるものだった。ぼくは自分の小さな世界の外側にあるこの「別の世界」にあこがれ、そしてその場所とは「アメリカ」なのだと思った。今思い返してみれば、だからこそ、アメリカ文学を読むようになったのではないかという気がするのだ。そして、もしそうだとしたら、ぼくがはじめて読んだ「アメリカ小説」は村上春樹だった、ということができるかもしれない。

『ユリイカ』2000年3月臨時増刊号 総特集 村上春樹を読む

 もちろん村上春樹はアメリカ作家ではないのだけれど、あれを読んでアメリカ的なものを感じた読者っていうのはぼくだけではなかったのではないかと思ったのである。

 村上自身は初期インタビューで、自分が小説などのアメリカ文化から吸収してつくった世界を「仮説としてのアメリカ」と呼んでいるのだが、そんな彼が作り出した作品を読んでアメリカを感じたぼくのような読者もいるわけで、これは世代的なものでもあると思うのだが、アメリカ文化に直接触れてそこに魅かれたのが村上の世代だとすれば、70年生まれのぼくのような世代は、その村上世代が翻訳再解釈再生産した「仮説としてのアメリカ」でアメリカに触れた世代ではないかと思う。そして、村上以外になににアメリカを感じたかといえば、大瀧詠一だった気がするのだ。

 加えてもうひとつ挙げるなら鈴木英人のイラストである。FM雑誌の表紙になったり(山下達郎のジャケットもあった)して、この人のイラストはものすごい流行った。あれがただのイラストではなく様々な色の紙を切り貼りしているのだと知ったのはほんの数年前のことだが、ということは同じ色の中にある陰影やグラデーションが排除されているわけで、そのうえ風や光や水しぶきが可視化された、加工されたアメリカがそこにあって、これまた「仮説としてのアメリカ」として、それを受容する者に幻想を生んだのだと思う。

 調べてみたら大瀧詠一と鈴木英人は48年生まれ、村上は49年だけど1月生まれなので、この3人、同学年である。


 そういう人たちが「幻想のアメリカ」をつくってくれていた。80年代ってそういう時代だった。
 

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