もともと英訳で短編を読んで、「あー呼ばれてるな」と思って、自分でもそれまでにないほど使命感を感じて売り込んだ(そのあたりの事情は過去記事へ。「エトガル・ケレットのこと」、「エトガルと新宿で 1」 「エトガルと新宿で 2」 「エトガルと新宿で 3」)。
エトガル本人に会い、メールのやり取りが始まり、本書のいくつかの章となったエッセイを日本で翻訳してどこかに出して欲しいという話になって、勢い込んで売り込んだものの、半年頑張っても目が開かず、じりじりする思いでいた。それでも、なんとかしなければ!という思いが続いたその気持ちは今まで感じたことがなかったもので、多分それは最初に"crazy glue"を読んだときからぼくがエトガルの魔法にかかっているからなのだと思う。
魔法の効果はてきめんで、未だにぼくはその幸福な魔法にかかったままだ。作品を読むたびにますます好きになり、本人に会うたびにますます使命感に駆られる。こんなワクワクする経験、今までなかった。
そしてエトガルの魔法は日本の読者にさらなる魔法をかけていく。
ぼくと同じように「あー、呼ばれてるわ」と思う人たち、思う存分幸福な魔法に身を委ねて欲しい。
作家の西加奈子さんもそんな一人かもしれない。『波』に掲載された書評「勇気の書」で本書を絶賛してくださっている。書いた作品を読むより先に本人に出会ってファンになり、そして本書を読まれて「これはエトガル・ケレットそのものだ」と思われたというエピソードは、やはりケレットならではの魔法を雄弁に語っていると思う。
書くものも魅力的で、『あの素晴らしき七年』を読めば多くの読者はきっとこの語り手のことを好きになってしまうと思うし、また本人に会ったら会ったで、なんかこの人のためにしたい!と思ってしまう。そういう魅力がケレットにはある。
サービス精神も一つの理由だろう。読者ごとに異なったイラストのサインをしてくれるような作家はそうそういない。
今回の翻訳の出版時にはタイミングが合わなくて来日が叶わなかったが、かわりにこんなビデオを送ってきてくれた。
並みの作家は普通そこまでやらない。やる必要がない。でも、ケレットはやっちゃうんだ。作家がここまでやってくれたら、ここまでの熱意を見せられたら、まわりの人間もがんばんなきゃって気になる。それが楽しい。まわりを幸せにしてしまう不思議な力が、この人にはあるんだよなあ。
翻訳をしながら頭の中にあったのは一本のパイプだった。エトガルの最初の短編は「パイプ」(『早稲田文学』)だし、その短編が生まれたいきさつを書いた「ぼくの初めての小説」で、プリントアウトして兄ちゃんに読んでもらってゴミ箱に捨てられた原稿を「パイプ」と表現していたことも頭にあったのかもしれない。
自分ができることはなんなのか、と考えた時に、こうして面白いと思った作家や作品を、今はまだ届かずにいるけどきっと必要としている人に届かせるための、細いかもしれないけれどパイプを一本渡すことだと思った。太い土管をたくさんつなぐことはできなくとも、細くとも一本繋がればそこからパイプは増えていくかもしれない。そんな文化的な配管工でいたいと思った。
そう思わせてくれたエトガル・ケレットの魔法、どうにも、まだまだ、覚めそうにない。
本人のスケジュール上の都合もあって、そしてこちらのお金の問題もあって、だいぶ先になるのだが、2018年の3月頃にはエトガルと奥さんのシーラを甲南大学に呼んで、映画のスクリーニングとトークのイベントを催したいと現在画策中。
日本全国から魔法にかかったみなさんが来てくれたら嬉しいです。
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