2015年7月25日土曜日

エトガルと新宿で 3

2月にエトガル・ケレットが来日して会いに行ったときのことを書こうとしていたのだが、前日までの話を書いた時点で時間がなくなってしまって、書かないまま半年も経ってしまった!

といっても書き留めていなかったわけではなく、大学のゼミの卒論集にはこのときのとこをエッセイにして掲載していたのでした。ので、それをここに載せようと思う。書いたのは東京でエトガルに会って帰ってきてまだ3日の3月3日のこと。読み返してみるとわれながらかなりののぼせ具合である。



エトガル・ケレットのこと

 201533日の今、私はまだぽわーんとしている。なぜか?3日前まで東京にいて、エトガル・ケレットに会ってきたからだ。エトガル・ケレットはみなさんもご存じの(そして日本では今回の短編集が出るまでほぼ知られていなかったから、みなさんはかなり早くからケレットを知っていたわけでそれは大いに自慢してもらいたい)とおり、イスラエルの作家で、ゼミでも彼の“Lieland” や “Guava” を読んだので記憶している方も多いと思う。そのケレットの日本で最初の短編集が新潮社から228日に発売され(上記2作品も入っている)、そのプロモーションのために来日したのである。以前からケレットの作品を出したいと出版社に掛け合ってきて、昨年東京の文芸フェスで本人と会ってからはメールでやりとりを続け、いくつかのエッセイを翻訳して発表していた私は、S社さんから声をかけられて、東京まで行ってきたのだ。3日間。しかも1日目は二人で食事までしたし、2日目はイベントのあとの打ち上げまで厚かましくも参加したのである。その余韻がいまだに冷めず、それでぽわーんとしているのだ。

 今回の来日の話を聞いて、ぜひ会いたい!と言ったものの、ま、イベントで会うくらいだろうな、取材もあって忙しいだろうし、と思っていた。それが、来日4日前に、「26日の夕方に二人で食事に行ってください」とS社さんから連絡が来て大興奮。おー、二人で食事?やった!そして大興奮のあと、大不安に陥った。

どうしよう?二人っきりで話が盛り上がらなかったらどうしよう?こんなバカに翻訳は任せられないって思われたらどうしよう?それに、よく考えたら東京じたい住んでいたのが20年近く前で、もうよく知らない。どこに連れていったらいいの?食事だって、なに?やっぱりお客様だからちょっといいレストランがいいの?それとも居酒屋的な?あるいはカジュアルにラーメンでも食べてもらって、これがホントの日本食だぜ!みたいのがいいの?あーどしよう?むしろ。もし他の国もまわって来てて母国を長く離れていたら、イスラエル料理がいいのか?いや、でもイスラエルレストランなんてあるのか?

 もともと緊張しがちな私であるが、このあたりからもう頭のなかがカオスである。頭がいっぱいかつ緊張度が高まっていき、さらに回らなくなる。うーん、どうしよどうしよどうしよ?どうしようもないのである。実はそこから26日までの記憶が薄い。テンパってる私になにか話しかけても要領を得ないのを見て、奥さんは「どうも頭の2パーセントしか動いてへんみたいやな」と言ったが、そのとおりである。2パーセントでよく乗り切ったもんだ。お店の予約で迷っているとまた新たな情報が。昼にアテンドする翻訳者のMさんによればケレットさん、なんとベジタリアンだという。しかも変わってて、肉ダメ、魚は生はイケるけど調理したのはダメ、という謎の基準である(あとでその理由は判明する)。じゃあ、寿司か?でも前日の晩空港まで迎えに行く予定の編集のSさんは寿司に行くと言っていた。昼のMさんは去年寿司に行ったと言っていた。きっと寿司が続く。そこにまた寿司ではうんざりではないか!

こういうときには人に聞くのがよい。高校の同級生でかつて歌舞伎町で居酒屋店長、現在司法書士のTくんにフェイスブックで聞いてみる。飲食関係の友人たちにあたってくれて続々情報が入ってくる。さすがだ。外国人の接待に使われるNINJAというレストランがいいらしい。ベジタリアンメニューもある。スタッフが忍者の衣装、でも料理は高級だという。NINJA!これは喜んでくれそうではないか。早速予約の電話。しかし5時か8時しか空いてない。5時は早いし8時は遅い。しかも時間通りに来ないとすぐキャンセルだという。もうちょっとフレキシブルにいかんものか。こちらは当日になっていろいろ変更もありうるのだよ。でもしょうがないので一応5時をおさえ、行けなかった場合の2の矢を探す。迷いに迷って駅近くのちょっと高級な和食をおさえる。ホッ。

食事のあては決まった。しかしまだまだ不安は尽きない。あー緊張する。もう行くの止めようかなぁ。なんて思う。出発日の前夜、12時に床に就いた私は130に目を覚ました。ぱっと寝て朝までまず目が覚めない人なのに夜中にパチッと目が覚めた。異常事態である。アメリカでおもしろがって買ったまま飲まずにいたSleepAid的な錠剤を飲んでみる。すぐ寝た。

いよいよ当日。出発は昼前の予定。緊張で朦朧としながらアトム氏の相手をする。アトム氏の種族は脱力の天才である。緊張とは無縁。うらやましい。新幹線に乗る。昼なのでなにか食べなくてはいけないが食欲がない。おにぎり一個食べる。東京につきホテルにチェエックイン。まだ時間がある。ボーっと過ごす。約束の4時が近づいてきてホテルを出る。お腹はすかないままだが、すきっ腹にお酒を入れると悪酔いしかねないと思い、スムージー的なものをコンビニで買って飲む。雨の降る中新宿へ。出口がたくさんあってやはり迷う。

駅員さんに聞きながら、なんとか高島屋とつながった東急ハンズに時間通り到着。ここで昼のアテンドのMさんから引き継ぐ予定なのだ。ドキドキ、ドキドキ。

ここでM袋さんから電話が。ちょっと遅れるという。ドキドキ、ドキドキ。10分たつ。まだ来ない。ドキドキ、ドキドキ。20分たつ。まだ来ない。さすがにそんな長くは緊張していられず、だんだん力が抜けてきた。と、そこに二人が到着。見覚えのある顔が。挨拶を交わす。腰が低い。あちらも照れてる。I’ve been really excited to see you, but at the same time I’ve been really nervous! なんて正直に言うと、なんで緊張するの?って言うので、あなたのことホントに尊敬してるから、と答える。すると、いや、僕のことを知れば知るほど尊敬しなくなるだろうから大丈夫!って。和む。そして「水たまりにはまって足びちょびちょだからさっき買った靴下に履き替えるよ」と言う。椅子を探して履き替えさせる。「奥さんによくまるで子供ねって言われるんだ」。うん、まさにそうだ。なんと愛らしいことか。

そこからはもう超リラックスであった。おしゃべりしながら買い物に付き合う。ハンズで9歳の息子レフのためのお土産を物色。いろんな国に行くけど買い物に行くのは日本だけなんだ、と言うので、これは日本の技術力をお伝えしようと、針のいらないホチキスや消せるボールペンなど進めると、次から次に買っていく。決断が早い。レフのおもちゃなんかも買う。その間もずっと、「買い物よりせっかくなのでコーヒーでも飲みながら文学の話をしよう」と気を遣って言ってくれる。それはあとで食事の時にってことで買い物を楽しみ、いったんホテルに荷物を置いてから、ユニクロへ。真っ赤なフードつきスウェットを買う。「おれ、こっちがいいと思うよ」と迷彩柄を勧めるが、「いや、軍隊にいたから迷彩柄は嫌いなんだ」とエトガル。そうであった。イスラエルは兵役のある国だ。迷彩柄がファッションでしかないお気楽なこの国とは違う。奥さんや子供の服を選び、自分用にTシャツを買った。「サンフランシスコ」とカタカナで書いたケーブルカーの絵のついたTシャツを勧めた。日本に来てアメリカの地名が書いたTシャツを買うというのがなんかおもしろい気がしたからだ。アメリカの地名だけどそれを記す言語は日本語で、それはいろんな国と言語を越えてやりとりする彼の執筆とかぼくの翻訳とかのありようとなんだか似ている気がしたのだ。
支払いの時免税の手続きをしようとするが、これをすると空港でまた手続きがあると知ってやめる。そういうお役所的やりとりが嫌いなんだと言う。おれの両親はホロコーストの生き残りだから、こういう書類を見せて許可をもらうみたいな状況にはナーバスになってしまうんだ、って。彼の人生にはぼくには想像もつかないような苦悩があって、だからこそのあのユーモアなのだと思い知った。
結局NINJAは時間が合わず第2候補の和食を食べに行き、豆や野菜、卵などを食す。エトガルは熱燗で日本酒。私はビールである。いろんな話をした。イスラエルのこと。いろんな作家のこと。家族のこと。おまえの家族のことを教えてくれよ、と気遣ってくれる。奥さんとアトム氏の写真も見せた。お互いの個人的な話もした。40年も生きていればそれなりに思うようにいかないこともある。それを彼と共有できたのが嬉しい。
翌日取材が入っているのであまり遅くなるわけにもいかず、タクシーでホテルまで送って別れを告げる。この日のために作っておいた家族三人分の千社札シールをプレゼントし、エトガルからは最新作のオーディオCDをもらった。

夢のような夜だった。

その後二晩に渡ってエトガルは日本の作家とのトークショーや取材をこなし、日本の読者をそのストーリーテラー力で魅了した。最後の日、神戸に戻らなくてはいけない私は、トークショーのおわりに別れを告げに行き、ハグをかわし、近い将来の再会を誓い合った。

それから3日たち、いまでもぽわーんとしている。うちで「あのさ、エトガルがさ、エトガルが」「ケレットさんはね、ケレットさんはね」とエトガル・ケレットのことばかり口走る私を見て奥さんが一言。

「なんやそれ。ケレットさんケレットさんって・・・ 恋か!」

 恋?

 あ、そうか。恋か。

たぶんあれはエトガルとの初デートだったのだな。

2015年7月10日金曜日

福永信さん公開講演会「ぼくはこうして作家になった。しかし・・・」が終わってしまってさみしい。

 7月9日に甲南大学甲友会館で作家福永信さんの公開講演会「ぼくはこうして作家になった。しかし・・・」が開催された。福永さんには2月のエトガルのイベントではじめてお会いし、それをきっかけに、うちの大学で学生になにかお話ししてもらえないかと思い、授業の中で公開講演会をお願いした。すぐにご快諾いただき、そこからここ3ヶ月ほど、常にワタシの頭の中心にはこのイベントのことがあった。院生のAさんが右腕になってくれて、なにか思いついてはAさんに話し、ほぼ二人だけでちょっとずつちょっとずつ準備した。チラシやポスターを作り、デジタル掲示板用のファイルを作り、学外にもチラシを置かせてもらいに行ったりした。大変でもあったけれど、それはやはりお祭り感覚なのでしんどくても楽しいしワクワクした。

 福永さんには「ぼくはこうして作家になった」というタイトルでお話してほしいとお願いした。想定した目的はふたつあって、一つ目は、文学部で学ぶ学生に、文学というものが外国とか昔とか自分の生活からかけ離れたところにばかりあるものではなく、教室や教科書の中にばかりあるものでもなく、今生きているこの世界に存在するアクチュアルな現象なのだと言うことを伝えたかった。それには作家に会わせるのが一番だと思った。

 二つ目の目的は「シューカツ」の外にもキャリアの可能性は開けているということを伝えること。最近の学生を見ていて思うのは、大学に入ってすぐからして就職のことを考えさせられて窮屈そう、そして4年生になって、シューカツでむぎゅーってなっちゃう子が多いなあ、でもそれは自然なことだよなあってことである。「シューカツ」は人生のキャリア選択においてほんの小さなカタログに過ぎない。そこには自分にあった会社ややりたい職種はないかもしれない、それなのにそこで競争して内定を勝ち取らないとダメ、みたいなところに彼らは追い込まれる。親や社会、そして最近は大学や教員によってもだ。これ、なんだかおかしい。「シューカツ」の外にある仕事に就く人も、誰もしていない新しい仕事を自分で作る人も、あるいは「働かない」という選択だってアリなはず。世の中色んな人間が「いてよし」だと思うのだ。だから、シューカツがすべてじゃないですよ、その外にもっともっと広い可能性がありますよ、ということを知って欲しいと思った。それがあるってのを知っているといないとでは、たとえシューカツに向かうにせよ全然気持ちの持ちようが違うんではないかと。そしてそのためには「シューカツ」ではつけない「作家」という仕事を見せるのがいいのではないかと思ったのだ。

 そこで福永さんにこのタイトルを提案したのだが、福永さんから「タイトルのあとに「しかし・・・」をつけましょう」という逆提案が。これはおもしろい、と思った。なるだけではなくなったあとも重要、と。そしてここからメールでのやりとりを重ねていくのだが、福永さん、さすが「企みに満ちた」作家である、こちらが何かを投げると必ずおもしろくひねって返してくれる。そうして積極的に関わってくれるのが本当にありがたく、そのたびにワタシの心は燃えるのでありました。

 たとえば当日聞きに来てくれた来場者にアンケートを記入してもらうことを提案した際、ワタシは普通の「ご意見・ご感想などご自由に記入してください」式のものをお見せしたのだが、福永さんは下の写真のようなものを提案してきてくださった。





 その一方で、そこまで『コップとコッペパンとペン』と『一一一一一』しか福永作品を読んでいなかったワタシは他の作品も読み始め、どんどんその作品世界に引かれていった。ゼミでは毎週この講演会の計画に触れ、福永さんとのやりとりや進捗状況、最近読んだ福永さん作品の話しをして、ゼミの冒頭は「今週の福永さん」で始めるのが恒例となった。そして、『星座から見た地球』を読んだとき、ワタシはこの大傑作に腹が熱くなり、今まで読んできたどんな本とも違うこの小説にある種の真理を見た気がし、そこから福永さんは自分にとってとても大切な作家になった。そして講演会でお会いできるのがますます楽しみになった。


 そしていよいよ迎えた当日。昨日のことである。プロジェクタやらビデオカメラやらいろんなものを借り忘れていたことを前日に気付き、なんとか夕方に借りられたものの、ほかにもケーブルやら忘れていたものがあって、当日の朝もバタバタである。2時間目は講義があったが、いろんなことが気になってなかなかの上の空である。昼過ぎにゼミ生が集結して会場設営へ。前の週に役割分担を決めていたのだが、すこぶる優秀な秋元ゼミのメンバーはそつなく着々と設営をこなしていってくれた。福永さんが来られてからは打ち合わせで受付の方とか見られなかったのだが、まったく問題なかった。すごい。やはり教員がぼやっとしていると学生がしっかりしてくれるのだな。

 福永さんが到着されて打ち合わせ。実際にお会いするのはまだ2回目なのだが、全然そんな気がしない。とても気さくでやさしい方だ。そしてお話がおもしろい。ここで、もう今日は大成功だなと思った。福永さんが来てくださった。それだけで。

 講演がはじまる。これまた福永さんのご提案で「普通の講演会にはしたくないので秋元さんもステージに残って漫才みたいにやりましょう」。



 ご自身の浪人時代の話、京都造形芸術大で演劇に熱中した話、卒論を仕上げられなくて大学をやめた話、大学というフレームに守られ、下駄を履かせてもらっていたのがなくなって寄る辺なくなった話、そこから作家になった話、そしてこれからの話。決して飾ることなく等身大の自分をさらけ出してユーモアを交えて語ってくれた福永さんのお話は、よくある作家の講演会では決して聞けないものだったと思う。 「人生最後の5分間」の話。もったいないので詳しくはここでは書かないが、あちこちに突き刺さる言葉があった。

 その後ご自身のデジカメの写真をランダムに見せるスライドショーのサービスがあり、質疑応答へ。フロアからどんどん手が上がる。これはこちらもびっくり。たしかに学生には事前に「どんどん質問しなさいよ」と言ってはいたが、こんなに上がるなんて。そしてそのひとつひとつに丁寧に答えていく。

 最後に自作短編「帽子」の朗読で講演会は幕を閉じた。

 いやあ、楽しかった。

 この講演に来た学生たちがどこまでピンと来たかはわからないけれど、確実に種は蒔けたと思う。あとは彼ら次第で、そのうち何人かでも、何年か後に「あ!」と気付く子が出てくれればそれでいいと思う。「あのときの話しはこういうことだったのか」と。そして出た芽が、花になったり実をつけたりしてくれればいいなあと思う。

 その後楽屋から10号館へ移動し、打ち上げへ。福永さんが去ったあとの黒板にはこんなメッセージが。

 ゼミ生15名くらいを交えての打ち上げで、福永さんといろいろ話す。作品のこと、執筆のこと。いつまででも話したかったけれど、学生たちみんなにホンモノの作家と話す機会を与えたく、順繰りに席を替わる。福永さんは学生たち一人一人に気さくに話してくれてホントいい人だ。学生たちに卒業後の進路の希望を一人ずつ話させて、言葉をかけてくれた。学生たちも本にサインをもらいご満悦。彼らにとっても、作家と話す希有な機会となっただろうし、卒業してもきっとこのことは覚えているんではなかろうか。ワタシは最後にまた福永さんの隣に陣取り、『星座から見た地球』がいかに素晴らしいか、どんなにワタシがあの本が好きかを、書いた本人に話すという機会を得て、そりゃもうこんな嬉しいことはなかった。

 院生のAさん、同僚のT先生、ゼミの皆さん、そしてなんといっても福永さん。関わってくれたすべての人に感謝したい夜でした。今夜が終わらなければよいのにと、そう思った夜でした。

 大好きな一冊にもらったサインには新たな星座が。


 こうして一緒に会を催すことができた福永さんと、ワタシ、そしてAさんやT先生、ゼミ生たちみんなの間にも線が引かれて新たな星座ができてたらいいなと思ったのであります。

 そして一夜明けて今日、1時間目から授業で忙しくしながら、もう祭りが終わってしまったような感じで、すでにさみしい。

 


 

2015年6月15日月曜日

神戸書店めぐり

福永信さんの講演会at甲南大学on7/9の広報、学内はもう十分やったので次は学外を、ってことで神戸の本好きが集まりそうな書店を半日かけて巡る。

まずはかつてのゼミ生、スカートの似合うだるまちゃんのhomeである「ザックバランな古本屋」トンカ書店。トアウェストにあります。懐かしの雑誌も気の利いた本もあります。店主のトンカさんがチャーミング。そういえば昔ここでバートン・クレーンのCD買ったな。いまだに聴いてる。
「ザックバランな古本屋」トンカ書店さん

ここからわらしべ長者的に「他、いい本屋さんないですかね?」と次を紹介してもらう。

次に南京町南の海岸通りの書肆スウィートヒアアフターさんへ。神戸のこのあたりは昔ながらの「ビルジング」が立ち並び、おしゃれな雑貨屋やカフェなどたくさんあってたのしい。こちらのお店も清潔感のある綺麗な店内に、新刊・古書双方が。短歌の本とかエスニシティに関する本が揃ってます。

店主の宮崎さんとお話ししてポスターとチラシをお願いしましたところ、なんと福永さんのサイン本を2冊持っているとのこと!さすが本好きの本屋、そして本好きの本屋に好まれる作家である。神戸の本屋の底力を感じる。

店主の宮崎さん

ここから絵本が揃うハニカム・ブックスさん、これまた素敵な店内でお茶もできるエメラルド・ブックスさんを訪問。それぞれカラーの異なる、それでいて居心地のいい本屋さんである。

元町商店街の西の方にあります 
 新刊の本屋さんはなかなかポスターとか貼ってくれないだろうなあと思いながらも三宮のジュンク堂へ。店長さん、二つ返事で受け取ってくれました!さすがジュンク堂。日本の書店業を担う気概を感じる。さらには住吉店でもチラシを置かせてくださいました。

最後にうちから一番近い王子公園のワールドエンズ・ガーデンへ。 歩き回って大汗をかいたのでアイスコーヒーをいただき、看板ねこのぶんちゃんを眺める。A氏にするようにおしりつついてみたところネコパンチを食らう。しかもA氏よりだいぶ強烈だ。

ぶんちゃん
こちらも快くポスターを貼ってくださり、しばし本のことや書店のことなど話し込む。福永さんの本も読んではった。先週土曜には今福龍太さんのトークがこちらのお店であったのだという。たしかに集まっていろいろしゃべるたくなるいい空間。まんなかにぶんちゃんの寝台があって。

暑いなか歩き回って疲れたけれど、どちらも快くご協力くださって感謝感謝である。そして神戸にはまだまだいい本屋がたくさんあるなあと実感した。

神戸書店巡り、おすすめです!



2015年6月5日金曜日

福永信 公開講演会 「ぼくはこうして作家になった。しかし・・・」 at 甲南大学

甲南大学文学部「ぶんたすプロジェクト」の一環として、英語英米文学科主催、「英米文化・文学入門」の講義一回を利用して、作家福永信さんの公開講演会を開催いたします!
 
7月9日(木曜日)、時間は14:40-16:10、場所は甲南大学岡本キャンパスにある「甲友会館」という建物です。

現代日本文学の最先端で、誰も読んだことがないような小説を紡ぎ続ける福永信さん。
変わった形の小説や、なんだかおかしな小説もあれば、
子供たちの小さな世界をたくさん集めてこの世界全体を描いてみせる作品もある。
そんな福永さんは、そもそもどうして、どうやって作家になったの?
作家のLIFE(人生、生活)とはどんなものなの?「作家になった」のあとの「しかし」とは?

学生のみなさんが大学で学んだあとの可能性は、「シューカツ」の外にも広く開けているはず。福永さんの話を通してみなさんの「キャリア」について考えてみませんか?
もちろん作品のお話も聞けますし、質問コーナーもあります!
 

文学部英語英米文学科の学生向けの講義の一環として行われるので、話題が学生向けの部分もあるかもしれませんが、自作についてもお話してもらう予定ですし、フロアからの質問の時間もたっぷり取りたいと思っていますので、福永さんのファンの方、興味をお持ちの方はぜひご参加ください。来聴者大歓迎です!

講演会企画と連動しまして、生協書籍部でも福永さんの書籍を揃えて「福永信フェア」開催中です。
興味のある方はぜひこちらでお買い求めください!

また、5号館1階カフェ・パンセでも展示してあります。
こちらはなんと座り読み可能なので、根性さえあればすべてここで読破することも可能!

甲南大学の学生であれば図書館特設コーナーも利用できます。
多数のご来場、お待ちしております!





2015年5月28日木曜日

福永信 『星座から見た地球』

 福永信は誰も書かない小説を書く。小説という形式をつねにどこか外してみせようとするその姿勢を「実験的」だとか「ポストモダン」と呼ぶこともできよう。でも、その言葉じゃ足りない。

 横書き日本語小説でありながら、1ページ目の1行目が同ページ2行目ではなく2ページの1行目、3ページの1行目へとリンゴの皮むき状に横の帯が下降していくという、独自の読書体験を強いる『アクロバット前夜』は彼の形式的実験(遊び?)の最たるものだろうし、その後の『コップとコッペパンとペン』の、コップとコッペパンとペンという、シニフィアンの方は音と字面では一部を共有してなんとなくの連続性を想起させながら、シニフィエの方はまるで共通性を持たないという言葉遊びは、直線的な語りを拒否し、常に細部の不要な情報(とおふざけ)へと湾曲していく彼の小説作法への的確な自己言及であろう。

          



 なのに福永信の小説は、「ポストモダン小説」という語から発想されるある種の知的エリート主義や高踏的な冷たさを感じさせない。それが不思議だった。彼の小説は思わず笑ってしまうような余分な記述に満ちている、というかむしろ周縁にあるそちらこそが本体ではないかとさえ思え、そういう「笑い」も、高踏的ではない感じの一因ではあるが、そればかりではない。

 その理由が、わかった。『星座から見た地球』を読んでわかった。




 その理由とは、きっと、「愛」だ。

 それは恋人への愛とか、親子の愛とか、友達への愛とか、そういう個人の関係に限定された自分だけの利己的な愛ではない。もっと大きな愛、そう、ちょうど「星座から」地球を見守るような、大きなスケールで小さな世界をまるごとくるむような「愛」である。意外かもしれない。しかし『星座から見た地球』を読めばわかる。

 AとBとCとDが出てくる。最初に出てきたこの4人はみな子どものように思える。4人の断片的なお話がひとまとまりで続き、次にはまたA, B, C, Dの順番で断片的な物語が語られ、それが延々続いていく。そのうち4人は出会うのではないかと思うが、彼らが出会うことはない。4人それぞれの物語じたいは断片化されて離れていても、それぞれAだけとかBだけで読めばひとつのお話になっているのかと予想するが、そうもならない。Aの最初の話とAのふたつめの話はつながらない。つながらないばかりか、次に出てきたAは最初のAとは違う子どものようでもある。Cは途中で死んでしまうが、そのあとにまたCの話が出てくるし、子どもたちの中にはまだ生まれていない者さえいる。だから読者は、この物語は時間軸を行き来している、あるいは、記号が指す人物が一人の人間ではないかもしれない、という可能性に行きつく。さらにはどうもアルファベットで呼ばれる人物(?)がチョークだったり、ネコだったりするものも含まれているようだ。読み手はそういった不確定性を抱えたまま読み進む。
 しかしその不確定性が決して読むことの邪魔をしない。直線的な物語は追えないけれども、各断片のなかで描かれるものの多くは、おそらく読者みんながもっている子供時代の記憶である。日暮れ時の野球、両親に隠れて忍び込んだ押入れの中、シャツを脱ごうとして陥った万歳状態、引越ししたあとの家に戻ってみて感じた静けさ、遊びで戦っている相手のホントの正体を「地球外生命体」だと空想すること。エピソードのひとつひとつが土ぼこりのついた膝小僧のような幼少期の匂いを発してやまず、そのすべてが愛おしい。

 生まれる前の子、途中で死んだ子、初潮を迎えた子、恋をした子、いろんな子どもたちの断片の果て、最後に語られる最後の「D」はネコである。ひっかいてしまって、でも「あやまることができない」ネコは「ちょっとふりかえるだけだ」。ネコは悪いとは思っても謝罪するすべを知らない。そして彼は人間の妹より自分が早く死ぬことを知っている。だからといって悲しむわけでもなく、ただその事実を事実として受け入れている。

 Dは妹より早く死ぬことを承知していた。妹だけではなく彼女の両親よりも早くこの世を去るだろうというのがわかっていた。おじいちゃんとはいっしょくらい かもしれない。Dはなんとも思わない。むろん感想をもとめられたところで、何も答えないだろう。いつの世も、Dとおなじ名前をどこかで聞くことができた。 それはDのことではないのだが、すべてが足跡のように、消えてしまうわけではないのだ。

 そうだ。AとBとCとDはみなぼくらだ。かつてのぼくらであり、これからのぼくらでもある。ぼくらはみな生きて死んでいく。でもDと同じ名前がどこかにあるように、ぼくらの名残もきっといつもどこかにある。いや、ぼくらはみなつねにAでありBでありCでありDなのだ。過去においても未来においても。
 この最後の部分を読んだとき、腹がぼわぁぁぁと熱くなった。胸が熱くなったのではない。それとは違う感覚だ。腹が熱くなった。最後の最後にとてつもない真理を見せられた気がした。

 子どものころ、死んだらどうなるのか考えたときのことを思い出す。世の中はとても不公平で、貧しい人もいれば豊かな人もいるし、容姿のいい人、スポーツのできる人、頭のいい人もいれば、そうじゃない人もいる。病気の人、体が欠けている人、早くに亡くなる人もいる。これはフェアじゃない。そう思ったとき、これは全部自分ではないかと思った。死んだら今のこの自分を終えて、次はあのプロ野球選手になり、その次はもしかしたらあの体の不自由な人になるのかもしれないし、あの死んじゃった赤ちゃんになるのかもしれない。でもそれは順番で結局すべての人をぼくはやるのだ。聖徳太子もガンジーもいとこのともちゃんも小山先生もみんないつかぼくがやる。だから逆に言うならこの世にいる人もいた人もこれからいる人もみな結局はぼくだってことになる。それならフェアだ。今はこの自分の番なのでこの自分でいるしかない。ただそれだけのことだ。

 そんなふうに世界を理解しようとしたことを思い出した。ぼくらはみなAでありBであり、いつかはCになり、かつてはDだった。ネコのDだったときもあるじゃないか。そうして見たときにこの世界というのはずいぶん愛おしいものに見えはしないか。

 ちょうどこの本を読む前にユクスキュルの『生物から見た世界』を読んでいた。生物にはそれぞれの環世界があって、同じ現実を前にしても知覚している世界は生物ごとにずいぶんと違う。『星座から見た地球』は偶然かユクスキュルと似たタイトルで、星座から見た環世界を描いているのかもしれない。星座の知覚にしてみれば地球は遠くのひとつの点にすぎなくて、そこでは無数のAやBやCやDが小さな物語をほんの一瞬だけ紡いでは消えていくのだ。その星座の視点から地球を丸ごと包む愛、それこそが福永信の愛なのだと思う。

 本作は福永信のほかの作品とはまた別の意味で「誰も書かない小説」だ。この小さな本のすべてが中心であり、いかなる細部も見逃してはいけない。ゆっくりと味わって何度も読むべき小説だ。こんな小説読んだことがない。そしてこんな豊かな読書経験もはじめてだ。

2015年5月12日火曜日

『早稲田文学』夏号 ケレット&カシューア往復書簡

 『早稲田文学』夏号で、New Yorkerウェブ版に載ったエトガル・ケレット&サイイド・カシューアの往復書簡"Tell Me a Story with a Happy Ending"を訳させてもらいました。

 イスラエルはユダヤ人の国ですがアラブ系の市民もいます。カシューアはアラブ系作家でArab Laborなどのテレビ番組の作家としても知られています。昨年夏のイスラエルのガザ侵攻に伴って高まったアラブ系市民への敵意を目の当たりにしてカシューアは家族を連れてイスラエルをあとにする決心をし、遠くイリノイのアーバナ=シャンペーンからケレットに手紙を綴ります。母国を失ってしまった自分に「ハッピー・エンディングな話を聞かせてくれよ」と。同じ国に属しながら加害者に分類されかねない立場にあるエトガルは精一杯のストーリーを紡いでそんなカシューアに応えようとします。

 多くの人に知ってもらいたい、読んでもらいたい内容です。エトガルのファンにも、そうでない人にも。イスラエルにも中東にも関心のない人にも。Homeのあることのありがたさ、それを失うことの恐ろしさ、でもhomeを失うことが珍しくなくなっている今の世界について考えるためにも。

2015年4月4日土曜日

エトガルと新宿で 2

つづき

この2014年3月の時点で、たしか母袋さんの訳で『突然ノックの音が』が新潮社から出ることは決まっていたように思う。『新潮』3月号に母袋さんの訳で短編「創作」が掲載され、編集の方のご厚意で私も英語のエッセイ「父の足あと」を訳させてもらった。

メールのやりとりが始まって「日本語であなたの作品が読めないのは残念だ。でも僕はヘブライ語ができない。これも残念」みたいなことを伝えると、「英語でしか出していないノンフィクションがあるからそれを訳して新聞や雑誌に載せられないかな」という提案とともにいくつかのリンクを送ってきてくれた。そのうちのひとつが、はじめて小説を書いたいきさつを描く「ある作家の肖像」だった。

ケレットが書く短編に劣らずおもしろい。これはがんばらねば、と思って訳して方々に送った。雑誌・新聞などの媒体で個人的に知っているところは少ないので、当たって断られては「ほかにどこかご存知でしたら紹介していただけませんか?」みたいなかんじである。先方も忙しいし、返信があるまでには時間がかかる。それに返信があればまだいいほうだ。

そして小説作品がまだ出版されていない、つまりは名前が知られていない作家の、小説ではなくエッセイというのも厳しい。これでもし私が、名前の売れている評論家や作家だったりしたら事情は違うのかもしれないが、そんな影響力もない。なんだかじりじりしながらも「原文で読んでみたいなー」とヘブライ語を習い始めてみた。アレフヴェートは覚えたが、もちろんそんなかんたんに読めるようにはならない。

結果が出ないまま数か月が過ぎ、イスラエルはガザに侵攻した。そしてケレットは自国の右傾化に警鐘を鳴らす勇気あるエッセイ「イスラエルにある別の戦争」を発表した。夏のことだった。すぐに読んで、これは日本の読者に届けねば、と思い、訳した。前のエッセイたちと一緒にして、またいろんな媒体に売り込んだ。職場の同僚のN先生も協力してくださり、各出版社につてのある方の協力も得られた。エッセイだけではしんどいかもと思い、勝手に企画を立て、作家紹介の文書を作成、GRANTAに載ったインタビューを翻訳し、そこで言及されている短編とエッセイも全部訳して、そのまま立体的な特集になるようにしてみた。それでもなかなか載せてくれるところが見つからない。ただ、真剣に検討したのだが紙幅などの点でダメだったという旨を伝えてくださる媒体も出てきて、多少感触が変わってきた気がした。もうチョイのはず。

ようやく掲載が決まったのが9月のこと。最初の頃から相談させてもらっていた『早稲田文学』で、これはホントに嬉しかった。エッセイ3編と最初の短編「パイプ」を掲載してもらえた。世界の最先端の文学を精力的に紹介しようという熱意のあるこの雑誌に載せてもらえたのは幸運である。

そして1月くらいだったか、新潮社さんから「エトガル・ケレットが日本に来る予定です」という連絡が。母袋さん訳の『突然ノックの音が』の出版に合わせての来日である。これは会いに行かなくては!

まだつづく