2010年3月9日火曜日

『フローズン・リバー』

最初のカットからやられる。足元からクローズアップで上っていくカメラ。足首の小さなタトゥーからタバコを持つ指先、その爪の汚れ、化粧っ気のない女性の素顔。貧しさの表現が秀逸。トレーラーハウス、1ドルショップ、アメリカ人がよく着ているColumbiaかなんかのパーカ。
 非常に丁寧に作られている印象を持った。貧しさゆえに女たちは罪を犯す。行為は犯罪である。法的には裁かれるべき罪である。しかしその犯罪は誰も傷つけることのない「犯罪」であり、「罪」ではない。 最終的には犯罪は露見するが、でも悲しい結末にはならない。女性同士のゆるやかな連帯の物語。
 『バグダッド・カフェ』を思い出した。あそこまでハッピーな連帯ではないけれど、ここにも女性同士のゆるやかな連帯の物語があり、未来が、希望がある。
 人は人種や国境や貧富や性差やいろんなもので分かたれている。みえないボーダーがある。同じ町に暮らしていて顔を合わせていても決してお互いが見えることはない。しかし両者を隔てている川が凍ったら・・・そのとき人はひとときだけその境界を渡ることができ、見えなかった他者に本当の意味で出会う。川の象徴性が見事。

0 件のコメント:

コメントを投稿