2015年7月10日金曜日

福永信さん公開講演会「ぼくはこうして作家になった。しかし・・・」が終わってしまってさみしい。

 7月9日に甲南大学甲友会館で作家福永信さんの公開講演会「ぼくはこうして作家になった。しかし・・・」が開催された。福永さんには2月のエトガルのイベントではじめてお会いし、それをきっかけに、うちの大学で学生になにかお話ししてもらえないかと思い、授業の中で公開講演会をお願いした。すぐにご快諾いただき、そこからここ3ヶ月ほど、常にワタシの頭の中心にはこのイベントのことがあった。院生のAさんが右腕になってくれて、なにか思いついてはAさんに話し、ほぼ二人だけでちょっとずつちょっとずつ準備した。チラシやポスターを作り、デジタル掲示板用のファイルを作り、学外にもチラシを置かせてもらいに行ったりした。大変でもあったけれど、それはやはりお祭り感覚なのでしんどくても楽しいしワクワクした。

 福永さんには「ぼくはこうして作家になった」というタイトルでお話してほしいとお願いした。想定した目的はふたつあって、一つ目は、文学部で学ぶ学生に、文学というものが外国とか昔とか自分の生活からかけ離れたところにばかりあるものではなく、教室や教科書の中にばかりあるものでもなく、今生きているこの世界に存在するアクチュアルな現象なのだと言うことを伝えたかった。それには作家に会わせるのが一番だと思った。

 二つ目の目的は「シューカツ」の外にもキャリアの可能性は開けているということを伝えること。最近の学生を見ていて思うのは、大学に入ってすぐからして就職のことを考えさせられて窮屈そう、そして4年生になって、シューカツでむぎゅーってなっちゃう子が多いなあ、でもそれは自然なことだよなあってことである。「シューカツ」は人生のキャリア選択においてほんの小さなカタログに過ぎない。そこには自分にあった会社ややりたい職種はないかもしれない、それなのにそこで競争して内定を勝ち取らないとダメ、みたいなところに彼らは追い込まれる。親や社会、そして最近は大学や教員によってもだ。これ、なんだかおかしい。「シューカツ」の外にある仕事に就く人も、誰もしていない新しい仕事を自分で作る人も、あるいは「働かない」という選択だってアリなはず。世の中色んな人間が「いてよし」だと思うのだ。だから、シューカツがすべてじゃないですよ、その外にもっともっと広い可能性がありますよ、ということを知って欲しいと思った。それがあるってのを知っているといないとでは、たとえシューカツに向かうにせよ全然気持ちの持ちようが違うんではないかと。そしてそのためには「シューカツ」ではつけない「作家」という仕事を見せるのがいいのではないかと思ったのだ。

 そこで福永さんにこのタイトルを提案したのだが、福永さんから「タイトルのあとに「しかし・・・」をつけましょう」という逆提案が。これはおもしろい、と思った。なるだけではなくなったあとも重要、と。そしてここからメールでのやりとりを重ねていくのだが、福永さん、さすが「企みに満ちた」作家である、こちらが何かを投げると必ずおもしろくひねって返してくれる。そうして積極的に関わってくれるのが本当にありがたく、そのたびにワタシの心は燃えるのでありました。

 たとえば当日聞きに来てくれた来場者にアンケートを記入してもらうことを提案した際、ワタシは普通の「ご意見・ご感想などご自由に記入してください」式のものをお見せしたのだが、福永さんは下の写真のようなものを提案してきてくださった。





 その一方で、そこまで『コップとコッペパンとペン』と『一一一一一』しか福永作品を読んでいなかったワタシは他の作品も読み始め、どんどんその作品世界に引かれていった。ゼミでは毎週この講演会の計画に触れ、福永さんとのやりとりや進捗状況、最近読んだ福永さん作品の話しをして、ゼミの冒頭は「今週の福永さん」で始めるのが恒例となった。そして、『星座から見た地球』を読んだとき、ワタシはこの大傑作に腹が熱くなり、今まで読んできたどんな本とも違うこの小説にある種の真理を見た気がし、そこから福永さんは自分にとってとても大切な作家になった。そして講演会でお会いできるのがますます楽しみになった。


 そしていよいよ迎えた当日。昨日のことである。プロジェクタやらビデオカメラやらいろんなものを借り忘れていたことを前日に気付き、なんとか夕方に借りられたものの、ほかにもケーブルやら忘れていたものがあって、当日の朝もバタバタである。2時間目は講義があったが、いろんなことが気になってなかなかの上の空である。昼過ぎにゼミ生が集結して会場設営へ。前の週に役割分担を決めていたのだが、すこぶる優秀な秋元ゼミのメンバーはそつなく着々と設営をこなしていってくれた。福永さんが来られてからは打ち合わせで受付の方とか見られなかったのだが、まったく問題なかった。すごい。やはり教員がぼやっとしていると学生がしっかりしてくれるのだな。

 福永さんが到着されて打ち合わせ。実際にお会いするのはまだ2回目なのだが、全然そんな気がしない。とても気さくでやさしい方だ。そしてお話がおもしろい。ここで、もう今日は大成功だなと思った。福永さんが来てくださった。それだけで。

 講演がはじまる。これまた福永さんのご提案で「普通の講演会にはしたくないので秋元さんもステージに残って漫才みたいにやりましょう」。



 ご自身の浪人時代の話、京都造形芸術大で演劇に熱中した話、卒論を仕上げられなくて大学をやめた話、大学というフレームに守られ、下駄を履かせてもらっていたのがなくなって寄る辺なくなった話、そこから作家になった話、そしてこれからの話。決して飾ることなく等身大の自分をさらけ出してユーモアを交えて語ってくれた福永さんのお話は、よくある作家の講演会では決して聞けないものだったと思う。 「人生最後の5分間」の話。もったいないので詳しくはここでは書かないが、あちこちに突き刺さる言葉があった。

 その後ご自身のデジカメの写真をランダムに見せるスライドショーのサービスがあり、質疑応答へ。フロアからどんどん手が上がる。これはこちらもびっくり。たしかに学生には事前に「どんどん質問しなさいよ」と言ってはいたが、こんなに上がるなんて。そしてそのひとつひとつに丁寧に答えていく。

 最後に自作短編「帽子」の朗読で講演会は幕を閉じた。

 いやあ、楽しかった。

 この講演に来た学生たちがどこまでピンと来たかはわからないけれど、確実に種は蒔けたと思う。あとは彼ら次第で、そのうち何人かでも、何年か後に「あ!」と気付く子が出てくれればそれでいいと思う。「あのときの話しはこういうことだったのか」と。そして出た芽が、花になったり実をつけたりしてくれればいいなあと思う。

 その後楽屋から10号館へ移動し、打ち上げへ。福永さんが去ったあとの黒板にはこんなメッセージが。

 ゼミ生15名くらいを交えての打ち上げで、福永さんといろいろ話す。作品のこと、執筆のこと。いつまででも話したかったけれど、学生たちみんなにホンモノの作家と話す機会を与えたく、順繰りに席を替わる。福永さんは学生たち一人一人に気さくに話してくれてホントいい人だ。学生たちに卒業後の進路の希望を一人ずつ話させて、言葉をかけてくれた。学生たちも本にサインをもらいご満悦。彼らにとっても、作家と話す希有な機会となっただろうし、卒業してもきっとこのことは覚えているんではなかろうか。ワタシは最後にまた福永さんの隣に陣取り、『星座から見た地球』がいかに素晴らしいか、どんなにワタシがあの本が好きかを、書いた本人に話すという機会を得て、そりゃもうこんな嬉しいことはなかった。

 院生のAさん、同僚のT先生、ゼミの皆さん、そしてなんといっても福永さん。関わってくれたすべての人に感謝したい夜でした。今夜が終わらなければよいのにと、そう思った夜でした。

 大好きな一冊にもらったサインには新たな星座が。


 こうして一緒に会を催すことができた福永さんと、ワタシ、そしてAさんやT先生、ゼミ生たちみんなの間にも線が引かれて新たな星座ができてたらいいなと思ったのであります。

 そして一夜明けて今日、1時間目から授業で忙しくしながら、もう祭りが終わってしまったような感じで、すでにさみしい。

 


 

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