2010年8月10日火曜日

『ヒックとドラゴン』

・ドラゴンのトゥースの造形が素晴らしい。獣のかたちをしながらも愛らしく、最低限の顔の変化で表情を作る。ネコ的な動きを基にしているのか。

 戦いを強いられる社会ではマッチョな強さこそが唯一の価値観で、それを持たないヒックは周囲からの評価も得られないし、父からの評価も得られない。ところがヒックはドラゴンと戦うのではなく共生することにその才を発揮する。ただ「戦うこと」対「手をつなぐこと」の言わば横の対立は解消しても、それは父と子の縦の対立は解消しないっていうのがミソ。
対立する集団同士の争いを「戦わないこと」で解決するというプロットは物語的には難しい。和解だけでは盛り上がりに欠ける。対立していた集団同士の団結を描くには両者の外部にさらなる敵が必要になり、その外敵との戦いを描くということで、そこまで描いてきた「戦わないという解決」を否定することになり、自己矛盾を抱えてしまうからだ。
 この作品もやはりドラゴンとバイキングの外側にさらなる敵が登場し、それはドラゴンたちに対する抑圧者であり、彼に仕えるためにドラゴンはバイキングの食料を奪っていたということで、バイキングとドラゴンの対立のそもそもの原因として、いわば都合よく悪者化される。物語的にこういった「さらなる悪としての第三の他者」が登場するのはしかたのないところ。しかしその戦いの帰結はなかなかうまいと思った。戦いの結果ヒックは左足を失う。これはドラゴンのトウースが左の尾びれ失った姿と重ねあうが、その義足は決して戦争の英雄として称えられるべき名誉の負傷ではなく「戦わないための」戦いという矛盾が生んだ代償だと言えるのではないか。

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