2016年10月8日土曜日

柴田元幸朗読会at神戸グッゲンハイム邸

 柴田元幸先生朗読会atグッゲンハイム邸に仕事辞めたてホヤホヤの元ゼミ生とともに行く。JRで行ったら途中に須磨海浜公園って駅があって「いつの間に!」と驚く。
 
 塩屋の駅って初めて降りた。大江千里に「塩屋」って歌があったような。駅の山側から行くが道が暗くて人気がなくなんだかジブリ映画みたいなノスタルジー。そんな闇の中に現れたグッゲンハイム邸、幻想的である。
 
 神戸市外大の先生方がお揃いなのでなんでやろ?と聞いて見ると、柴田先生、外大で客員教授をされていて、今日もセミナーやって、昨日は関大で講演、明日も外大で小川洋子さん(!)との対談だそう。タフだ!しかしそういう情報はなんで回ってこないのか。

 前に並んでいた方も外大の卒業生だと判明し、3人でキーマカレーを食べつつ色々喋る。若い人は脱サラ同士。

 


 建物がいいんだなあ。天井高いし。

 満員である。さすが柴田先生、集客すごいなあ、っていうのと、神戸、いるんやな、文学の人、文芸の人、本の人、いるんやな、って思った。ふと横を見ると大好きな古本屋、ネコのぶんちゃんでお馴染みのワールドエンズガーデンの店主小沢さんもいてはる。そうなのだよ、行くとこ行ったら本好きはいるんだよね。自分ももっと外出なきゃと思った。大学の中だけじゃなくってね。
 
 朗読って集中して聞かなきゃいけなくって、しかも狭い空間で座って耳をすますってあんまりないことで最初はちょっと息苦しいというか聞いてる方なのに緊張した。それが休憩挟んだくらいから楽になっていく。全部聞き取ろうとしない、わかろうとしない、ただ空間の心地よさと音の心地よさに身をまかせる、それが気持ちいい。

 ぼくらはふだんから欲張りなので、何かを聞いたら面白くなきゃいやだ、笑わせてほしい、何かを知識を得たい、とかそんなことばっかり思っている。でも、今日わかったのは、何も「おもしろい!」とか「発見!」とかなくっても「心地よさ」に身を委ねる時間があることの豊かさ。無理して面白がったりはしゃいだり、刺激を求めなくっても、気持ち良いはある。小さい頃ってこういう時間がいっぱいあったなあ。

 そして文学っていうか、そんな大上段に構えずとも、ことばの力ってこういうことなんじゃないかと思った。わかってもいいしわからなくっても気持ちがよい。今日朗読で聞いたお話は明日には覚えてないかもしれない。それでもいいじゃん、今気持ちよかったんだから。そう思った。

 終演後にこの洋館の庭でテーブルを囲みたむろする人たちは、この心地よさからまだ離れたくないのだ。ワタシもそうだった。が、氏が待っているのでそういうわけにもいかず帰宅。

 いい夜だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿